Home
 
オリジナルコラムを中心とした当サイトの更新情報、スポーツ関連講座やシンポジウム開催情報などを無料配信しております。今すぐご登録を!
メール配信先の変更
ご意見・ご要望

最新号

■Back Number■

Vol.157( 7/30)
Vol.156( 7/23)
Vol.155( 7/16)
Vol.154( 7/ 9)
Vol.153( 7/ 2)
Vol.152( 6/25)
Vol.151( 6/18)
Vol.150( 6/11)
Vol.149( 6/ 4)
Vol.148( 5/28)
Vol.147( 5/21)
Vol.146( 5/14)
Vol.145( 5/ 7)
Vol.144( 4/30)
Vol.143( 4/23)
Vol.142( 4/16)
Vol.141( 4/ 9)
Vol.140( 4/ 2)
Vol.139( 3/26)
Vol.138( 3/19)
Vol.137( 3/12)
Vol.136( 3/ 5)
Vol.135( 2/26)
Vol.134( 2/19)
Vol.133( 2/12)
Vol.132( 2/ 5)
Vol.131( 1/29)
Vol.130( 1/22)
Vol.129( 1/15)
Vol.128( 1/ 8)
Vol.127(12/25)
Vol.126(12/18)
Vol.125(12/11)
Vol.124(12/ 4)
Vol.123(11/27)
Vol.122(11/20)
Vol.121(11/13)
Vol.120(11/ 6)
Vol.119(10/30)
Vol.118(10/23)
Vol.117(10/16)
Vol.116(10/ 9)
Vol.115(10/ 2)
Vol.114( 9/25)
Vol.113( 9/18)
Vol.112( 9/11)
Vol.111( 9/ 5)
Vol.110( 8/28)
Vol.109( 8/22)
Vol.108( 8/14)
Vol.107( 8/ 7)
Vol.106( 7/31)
Vol.105( 7/24)
Vol.104( 7/17)
Vol.103( 7/10)
Vol.102( 7/ 3)
Vol.101( 6/26)
Vol.100( 6/19)

100号記念メッセージ
150号記念メッセージ

■vol.158(2003年8月6日発行)

【杉山 茂】 単純ではない「命名権ビジネス」
【佐藤次郎】 「当たり前」にさえすれば・・・


単純ではない「命名権ビジネス」
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

「味の素スタジアム」(旧・東京スタジアム)の順調さを追って、スタジアムやアリーナのネーミングライツ(命名権)をめぐるビジネスが注目されているが、東京をしのぐ大きな契約かといわれていた横浜国際総合競技場の交渉は不調に終わったようだ。

横浜市が、8月1日、明らかにしたもので、「年間5億円程度で5年以上…」という条件に応じる企業がなかったことによる。

昨年のワールドカップ決勝会場、これまで数々の実績、国内最高の観客収容力(72370人)…東京よりもはるかにグレードは上、という自負が、東京(味の素)の倍額の強気を呼んでいた。

ネーミングライツ・ビジネスは、契約金額以外にも、さまざまな難しさが横たわっている。

同競技場は、横浜・F・マリノスのホーム、同クラブを支える「日産」などうってつけのパートナーに思えたが、エージェント筋は「そうなるとトヨタカップの会場として使いにくくなるだろう」と話していたものだ。同カップの興行に70000席超は、いまや"必須条件"といわれる。

「味の素」は、東京FCと東京ヴェルディ1969の両クラブがホームとして共有するために“露出度”が高く、予想以上の効果をあげている。

Jリーグの理想は1クラブ1ホームだが東京の皮肉なスタジアム事情が、スポンサーを喜ばす結果を生んだ。
ところで、管理経費を生み出すためのスタジアムやアリーナの運営に、もう少し工夫が加えられないものか。

ネーミングライツの風も、横浜のケースを見るまでもなく、状況は厳しい。

施設側は、既製のイベントを待つ(招致)だけでなく、企画チームを組織して、スタジアムやアリーナがイベントを作り出すべきだ。いつまでも“あと利用”の乏しさが批判されるばかりではないか。

スポーツ団体も、旧態にすがってマスコミの後援を頼り、奇特な企業の名乗りあげを期待していては、いっこうに、あすが見えてこないだろう。

スタジアムやアリーナと組んでのイベントを開発し、多彩なマネージメントを展開するような感覚が欲しい。昨今のスポーツ人の好んで使うキーワードは「自立」だ。

それをどのような姿勢でたくましいものにするか、となると、ほとんどチエがない。
横浜の不調を、深刻に我が身の課題と考え込むスポーツ人は、どれほどいるのだろうか―。

PageTop


「当たり前」にさえすれば…
(佐藤次郎/スポーツライター)

アテネ五輪が近づいてきた。ことしは最大の前哨戦となる各競技の世界選手権が次々に行われ、話題を集めている。そこで注目されるのが、代表選手選考のことだ。

オリンピックにしろ世界選手権にしろ、その代表の座が選手たちにとっての最大の目標であるのは、もちろん言うまでもない。そのために、選考結果をめぐる論争やトラブルがしばしば起きる。こうした状況を踏まえて、日本でもスポーツ仲裁機構が発足した。CASの略称で知られるスポーツ仲裁裁判所に申し立てをしなくても、国内で審理が受けられるようになったというわけだ。確かに、スポーツがこれほど幅広く、大きな存在になってきたからには、こうした機構が必要なのも間違いないところだろう。

だが、どうしても違和感を感じてしまう。機構設立の意味は大きいし、それによって解決される問題も少なくないに違いない。とはいえ、代表選手選考という問題に限って言えば、たいがいのケースは裁判所や仲裁機構などに持ち込まずとも、まずは大方が納得できる結果にできると思うからである。

最も大事なのは、選考にあたる競技連盟の責任者が、文字通り責任を持って妥当な判断を下すことだ。次には、その判断をあますところなく説明しなければならない。そして、判断を説得力あるものにするのは、「競技は選手のためにある」という大前提である。

どれもしごく当たり前のことではないかと言われるかもしれない。ところが、選考がトラブルになる時は、その当たり前が当たり前に実行されていないことが多いのだ。責任者たるべき者がきちんと判断できない。選考理由を明快かつ詳細に説明していない。そこで、トラブルがどんどんこじれていくのである。

さらに問題なのは、選手個人ではなく、競技全体が(たとえば陸上界とか水泳界とかいった概念が)強調され、優先されることだ。○○界のために、どうしてもメダルが欲しい。そのために、選考会で勝てなかった(あるいは出られなかった)有力選手を選ぶ、というようなケースである。

これは一見、意味ある決断のようにも見える。だが、そうだろうか。

スポーツは選手のためのものであり、○○界のものではない。たとえメダルの可能性が低くなっても、選考会で結果を出した選手が優先されるのは当然ではないか。それに、「○○界全体のために」というタテマエは、実は連盟幹部の名誉欲や面子から発していたりもするのだ。どうしてもメダルが大事と思えば、そう決断するのもひとつの考え方ではある。その代わり、結果が出なかった時は、会長以下の幹部はすみやかに辞任するべきだろう。

責任を持って妥当と思われる判断をくだし、それをわかりやすく公開する。判断基準は「選手のため」を第一とする。たったそれだけで、選考に関するトラブルはほぼ消えるはずだ。それでなお文句をつける選手は、スポーツマンシップに反すると批判されても仕方がない。

アテネに向けた選手選考は、各競技連盟が当たり前のことをちゃんとできるかどうかを、あからさまに試される場でもある。各責任者は、それを肝に銘じておくがいい。

PageTop


本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。 →ご利用条件