ラグビーのトップリーグ開幕(9月13日・国立競技場)が迫った。
93年5月のJリーグスタートの前にも、興奮を感じたが、トップリーグには同時に感慨が入り交(まざ)る。 ラグビー界の誇ってきた“伝統”が、新しい扉を開くには、相当の時間がかかった。
サッカーをはじめ、多くのボールゲームが次々と「日本リーグ」を発足させるなかで、ラグビーは、その流れを見送り、無用のイベント(事業)、とさえ云い切る人もいたほどだ。
世界の頂点に立っていた「5カ国対抗」(ファイブ・ネーションズ。現在は6カ国対抗)も、各国の“定期戦”が集合したもの、との解釈だった。
関東大学ラグビーが、対抗戦派とリーグ戦派に分かれているのも、この哲学・思想が、背景にあるのは、よく知られている。 総てが吹き飛んだのは、国際ラグビーフットボール・ボード(IRFB)による1987年のワールドカップ開催である。
その2年前、このニュースを聞いて、私はテレビ放送権の所有者を探ったが、IRFBがすでにエージェントと契約しているのを知った。 他のスポーツでは、当たり前の“姿勢”だが、ラグビーまでも、となると「時代」以外に言葉はなかった。
海外のラグビーは劇的に変化していく。一言で云えばコマーシャリズムの侵入だ。 95年、IRFBによる「アマチュア規定撤廃」の決定は、なだれがなだれを呼んだ。
ヨーロッパの新興テレビ勢力の影響があったとされるのは、否定できない。 巨額の放送権料を持ちこむテレビを避けていては、そのスポーツは21世紀を生き抜けない。
さすがに国内の関係者も「日本は各チームの総試合数が少ない、シーズンも短すぎる」などと語るようになった。 「日本リーグ」は間近いぞ、と思えたが、そうは軽くなかった。時が経つ。
別の要素も重なりはじめる。ワールドカップでの完敗、少子化による愛好者減少、企業のスポーツ活動縮小…。 トップリーグを発足させれば、総てが一気に解決するわけではないが、古いカラを破って新装される期待は、充分にかけられる。ファンはとうに旧来の美学から離れているのだ。
気がかりもある。大学ラグビーが、どう進んでいくか、だ。 ラグビーは、「箱根駅伝」と並んで、学生スポーツの最後の砦(とりで)的存在である。
トップリーグとは別ものとの声も高いが、同じような“強気”で、ほとんどの学生スポーツは市場性を失った。 ラグビーが、「素晴らしい共存」を展開することは可能であろう。
それにはトップリーグが生み出す活気を、大学ラグビーの選手を含めた総ての関係者が、別ものと考えぬスピリッツが欠かせない。 かつてないエキサイティングな新シーズンは、日本のチームスポーツ界にも久々に、強力な風を吹き込むのではなかろうか―。
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