サッカー・日本―セネガル戦(9月10日)。
試合内容よりも、スタディアムの沸きかたに興味をかけて、足を運んだ。 ワールドカップから1年余り。あの熱気が日本列島になにを残したか。各地から伝えられるのは、会場の“後利用”に悩み、運営経費の捻出に苦しむ、といった話ばかりである。
大がかりな国際イベント招致が図られ、近代的装備のスポーツ施設が計画されると、喝采の声があがるのに、終ってみれば、冷たい論評にさらされる。そうして、スポーツ界は、いつも、その声にうつむくばかりだ。
全国10ヶ所を舞台としたワールドカップがスポーツ振興の拠点となる期待は、かつてないものだった。 1ヶ所集中で開かれるオリンピック、アジア大会、ユニバーシアード、多くの世界選手権などとは異なる“長所”をワールドカップは秘めていたのである。
この夜の会場は新潟スタジアム(愛称ビッグスワン)。“その後”が気になる場所の1つである。 嬉しいことに40,104人の観衆が、その不安を吹き飛ばしてくれた。
明らかに、スポーツを支える素晴らしさがこのスタディアムには、残っていたのである。 関係者によれば、県外からの観衆は4分の1くらい、大半は市内、近隣の人たちだろうという。雰囲気は、日ごろビッグゲームの多い首都圏や大阪の手馴れた場内とまったく変わりがない。 試合後、家路を急ぐレプリカ姿の自転車の列が、ローカル色を漂わせもした。市(まち)にスポーツが根付いた風景でもある。 強気な地元の声もはずむ。「日ごろ、アルビレックスの試合には、同じくらいの数のサポーターと熱狂が渦巻きますから…」。国際試合もその一端というわけだ。
1回の成果で答えを導くのは性急すぎるとしても、新潟は、いい流れに乗っている。 市(まち)おこしの手段にスポーツが重宝がられるのを否定はしないが、まずは、スポーツおこしのために、スポーツはあるべきだ。
現代は、スポーツはスポーツ以外の目的に利用されすぎてはいないか。 素晴らしい施設が、スーパーイベントを終ると間もなく行き詰まるのは、スポーツ界のパワー不足に一因がある。
見せるスポーツ充実と供給をスポーツ団体は怠ってはならない。 アルビレックスと日本代表。両輪が揃うことで、新潟の“後利用”に、はじめて心配が薄らぐのだ。
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