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100号記念メッセージ
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■vol.171(2003年11月 5日発行)

【杉山 茂】 JOC、選手の肖像権一括管理を断念へ
【早瀬利之】 全日本剣道選手権大会、愛知県が2年連続優勝。近本の優勝で、「警視庁神話」は崩れた
【佐藤次郎】 ジャパンに違和感あり
【今城力夫】 ニュースの価値


JOC、選手の肖像権一括管理を断念へ
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 プロ・スポーツ以外のスポーツ選手が、コマーシャル映像や広告写真に登場するにあたって、その肖像権を日本オリンピック委員会(JOC)が一括管理、時が経ってきた。JOCは、どうやらそのマーケティング方法を来年のアテネ・オリンピックで打ち止めにするようだ。

 肖像権を選手自身が存分に使えない不思議さと無理が、ようやく常識的なラインに戻るのである。歓迎というより、当然ではないか。

 ノンプロフェッショナル選手のコマーシャル解禁は1978年11月、日本体育協会によって承認された。当時JOCは独立していず、同協会の傘下にあったが、関係者は「アマチュア選手のコマーシャル出演などのキャンペーンを承認するため、肖像権を一括管理するのだ」といったものだ。

 世界的にはアマチュアリズムなど、とうに影が薄れ、4年前、国際オリンピック委員会(IOC)は、その憲章から「アマチュア」の字句を削り取っていた。

 日本のスポーツ界は、その流れに乗りコマーシャリズムを利用して資金確保(主として選手強化)を図ろうとしながら、アマチュアの名を持ち出して、肖像権を預かるという手に出たのだ。
選手個々のコマーシャル活動を認めず、JOCなら、という“奇抜な発想”は、スポーツ人の生んだものではなかった。

 それはさておき、テレビ制作現場に居た私は、多くの人に身勝手な理屈、と質したが、返ってくるのは、“アマチュア至上”で、コマーシャル解禁との落差に、気付かぬフリをした。いや、本当に気付いていなかったのかもしれない。

 それから25年が経った。その間に起きたさまざまなうねりを並べる時間(紙数)はないが、選手が肖像権の使用に制約をうけていることへ首をかしげる動きがのぞいたのは、80年代に入ってすぐのことだ。

 有名ロードレーサーが、外国のレースで副賞に高級車を贈られ、どうしたものかと困惑した(87年)よりも、前である。

 91年、JOCが日本体育協会の加盟団体から脱退して独立したあともこのマーケティング方法はつづいたが、外国人選手の自在なコマーシャル活動を知った日本人選手は、いっそう「なぜ?」の気持ちを強くしたものだ。

 90年代後半になると、さすがに競技団体も、選手とその周辺の言い分に耳を傾けはじめる。
自らの媒体価値を知った選手は、次々に一括管理から離脱しはじめる。そして今回の“断念”である。

 筋みちは通ったが、1社2億円で15社のスポンサーが名を連ねる現行(01〜04年)に代わる財源探しは容易ではあるまい。
「必ずしも全社が選手をモデルに望んでいるわけではないので・・・」とJOCに関係する1人は言った。

 この強気と楽観。押し進めていけるなら、それはそれで結構な話、としておこうか―。

関連掲載バックナンバー(2001年2月28日)
           vol.34 「肖像権を返して!! 私プロなんです」

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全日本剣道選手権大会、愛知県が2年連続優勝。
近本の優勝で、「警視庁神話」は崩れた。
(早瀬利之/作家)

 第51回全日本剣道選手権大会は愛知県代表の近本巧選手(32)が、決勝で後輩の安藤戒牛(30)を、メン2本を決めて初優勝した。相性も合ったという安藤が、メンに出てくるところを、気力でメンに出て決めている。

 近本は1回戦で福岡の塚本幹博4段を、2回戦では大阪の肱岡明洋5段を、3回戦では兵庫県代表の杉本健介4段を、ともにメン1本決めて勝ち進んだ。

 準々決勝では警視庁の原田悟選手を延長に入って間もなくツキ1本を決めた。準決勝では福島県代表の田崎智春(教員)を、出てくるところを早いメン打ちで決める。

 決勝は昨年の優勝者で、勢いのある同じ愛知県警の後輩、安藤選手と対決。「どんな試合でも、思い切って打つ」ことを信条にしている近本は、殆ど相打ちに見えるメン打ちで、打ち勝っていた。近本6段と安藤5段という段位の「位がち」もある。また安藤のツキとメン打ちというクセも見抜いていた。同じワザでも、気力と思い切りの打ち込みに歩があった。

 同県人の決勝は、東京、大阪、神奈川(宮崎兄弟)に次ぐ4回目。愛知県の優勝は第1回大会優勝者の榊原正(当時33才・錬士)を含めて6人目で、2年連続優勝は初めてである。

 かつて、全日本1位をめざすには「警視庁入り」しかないと言われてきたが、この10年近くは、地方の選手が強くなってきて、「警視庁神話」は崩れている。「何も警視庁に入らなくても日本一になれる」という環境が、地方に芽ばえてきた。

 それにしても今回、NHKの中継が中止されたのは残念。国技に近い剣道文化を、どう考えているのか、イデオロギーを疑いたくなる。NHKよ、サッカーやアメリカンリーグもいいが、日本文化を、もっと大切にしてほしい。

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ジャパンに違和感あり
(佐藤次郎/スポーツライター)

 ラグビーのワールドカップのニュースを見るたびに違和感を感じてきた。日本代表、ジャパンと呼ばれるチームに外国選手が何人も入っているからだ。
 
 こう書くと、いかにも心の狭い排他主義者のように思われるかもしれないが、もちろんそうではない。ラグビーの代表チームというものが国籍だけにとらわれないのも心得ている。ラグビーではそれぞれの国の協会が主体であり、その国にルーツを持つ者や、3年以上続けて住んでいる者も代表に選ばれる権利を持っているのだ。日本代表に、3年以上日本に住んでいるニュージーランド選手やトンガ選手、フィジー選手などが入ってくるのには、ルールとしては何の問題もないし、それぞれの選手には大いに活躍してもらいたい。
 
 しかし、である。このラグビー独自のルールは、本来、ラガーマンたちの国籍を超えた友好親善のためのものであるはずだ。どこの国籍を持っていようと、ラグビーを通じた友情に隔てはないというのが本来の趣旨であるはずだ。となると、ただチーム強化のためにそのルールを利用するのは本末転倒なのではないか。
 
 国別の試合というのは、それぞれの国で培ってきたスポーツの実力や土壌や文化を比べる場のはずである。当然のことながら、勝ちまくって国威を発揚するためのものではない。伝統を持つ実力上位の国は、その歴史や力を保ち、磨いていく。そうでない国は、弱点を補って少しずつ力をつけていき、強いチームに追いつき追い越せと努力していく。それぞれの状況や持ち味を生かしつつ、競い合って競技全体を盛り上げていくのがスポーツの本分だろう。勝利だけが目的なのではない。その国、その民族ならではの特色を生かし、伸ばしていって、力試しをしてみようというのが国別の試合というものなのだ。
 
 だが、日本ラグビー界のやっていることは、どうもそうした趣旨に反するように思える。ポイントになるポジションに優秀な外国選手を入れれば戦力が飛躍的にアップするのは自明のことだ。今回のW杯もそうだったが、最近の日本チームでの外国人選手の存在は実に大きいものがある。が、日本にルーツがあるわけではない外国選手を何人も加えて、それで日本ラグビーそのものの実力がアップしたことになるのだろうか。日本ラグビーのやっていることは、ただ勝つために現行ルールを最大限に利用しているだけのことに思える。
 
 ふだんはどこの国の選手であろうと関係なく、ボーダーレスでラグビーを楽しんでいけばいい。ただ、国別の大会になったら、日本人のラグビーがどこまで進歩したかを試してみればいいのだ。国威発揚のため、勝利という結果だけのためにラグビーをやっているわけではあるまい。体格差があろうと、技術に差があろうと、少しずつでも努力を重ねて進化させていくのが大事なのではないか。
 
 メディアの姿勢にも問題を感じる。日本チームの健闘をたたえるのはいい。だが、それは要所要所にいる外国人選手の活躍あってこそのものだ。なのに、メディアはそれにはほとんど触れないまま、「日本ラグビー」という言葉だけですべてをくくっている。そうした姿勢は外国人プレーヤーに対しても失礼ではないか。
 
 他の国にも同じような傾向があるようだ。フランスのようなラグビー強国でも同様の例があるという。しかし、勝利への近道だからといって、ラグビー先進国の優秀な選手を補強していく形ばかりをとるのが、果たしてラグビーの発展やラグビー文化の普及につながるのだろうか。
 
  とかくスポーツの世界では、勝たなければはじまらないという考え方が主流をなしている。たとえば、五輪やW杯の1勝は、どんな強化策、どんな普及案にも優るというのである。だが、それだけではないはずだ。勝利を追いかけるあまり、本分を見失っては、ファンの支持も得られないだろう。

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「ニュースの価値」
(今城力夫/フォトジャーナリスト)

 今年の野球シーズンが日本でもアメリカでも終わった。ニューヨーク・ヤンキースの松井選手は惜しくもアメリカン・リーグでのチーム優勝を逃したが、メジャー入りしたその年にあれほどの経験が出来たことは素晴らしい。日本選手の活躍のおかげでメジャー・リーグ・ベースボール(MLB)のテレビ中継も増え、随分と楽しむことも出来た。

 しかし、テレビのニュース番組や新聞のスポーツ面に目を移すと、MLBを報道しているのではなく、単に松井選手やイチロー選手など日本人の動向を伝えているに過ぎない。勿論これは野球に限ったことではない。

 今年7月のウインブルドン(テニス)大会で杉山愛とキム・クライシュテルス(ベルギー)ペアーが女子ダブルスで優勝した。テレビでニュースを見ていたらNHKですら杉山さんが優勝カップをかざして喜んでいる姿が何秒かアップで映されていた。暫くして画面を広げてゆきクライシュテルスが一緒に映ったと思った瞬間その画面は消えてしまった。日本の視聴者や読者へのニュースは、たとえダブルスの試合であっても杉山が優勝したことがニュースでペアーの相手などは関係がないわけだ。

 以前に日本で開催するためのある企画をMLBに持ちかけたことがあった。その際にニューヨークにあるMLBの権利を扱う事務所から、日本人選手ばかりに焦点をあてないで、MLB全体を扱ってほしいとの制約を言い渡された。当然のこととはいえ、これでは日本では歓迎されない。

 スポーツから離れるが、極端なことをいえば南アジアのモンスーンで何万人もの人命が奪われても、日本ではそれほど大きなニュースではない、ということだ。飛行機の墜落など他国で事故が起きると、日本人が死傷者に含まれていたかどうかで、我々にとってのニュースバリュー変わってくる。

 このコラムの読者にもジャーナリストを志す方々がおられるようだが、テレビのニュース番組や新聞を一寸注意して見たり読んだりすると、意外な発見をすることがある。出来れば日本のメディアと海外のメディアを比較してみると、もっと興味深いと思う。

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