プロ・スポーツ以外のスポーツ選手が、コマーシャル映像や広告写真に登場するにあたって、その肖像権を日本オリンピック委員会(JOC)が一括管理、時が経ってきた。JOCは、どうやらそのマーケティング方法を来年のアテネ・オリンピックで打ち止めにするようだ。
肖像権を選手自身が存分に使えない不思議さと無理が、ようやく常識的なラインに戻るのである。歓迎というより、当然ではないか。 ノンプロフェッショナル選手のコマーシャル解禁は1978年11月、日本体育協会によって承認された。当時JOCは独立していず、同協会の傘下にあったが、関係者は「アマチュア選手のコマーシャル出演などのキャンペーンを承認するため、肖像権を一括管理するのだ」といったものだ。
世界的にはアマチュアリズムなど、とうに影が薄れ、4年前、国際オリンピック委員会(IOC)は、その憲章から「アマチュア」の字句を削り取っていた。
日本のスポーツ界は、その流れに乗りコマーシャリズムを利用して資金確保(主として選手強化)を図ろうとしながら、アマチュアの名を持ち出して、肖像権を預かるという手に出たのだ。
選手個々のコマーシャル活動を認めず、JOCなら、という“奇抜な発想”は、スポーツ人の生んだものではなかった。 それはさておき、テレビ制作現場に居た私は、多くの人に身勝手な理屈、と質したが、返ってくるのは、“アマチュア至上”で、コマーシャル解禁との落差に、気付かぬフリをした。いや、本当に気付いていなかったのかもしれない。
それから25年が経った。その間に起きたさまざまなうねりを並べる時間(紙数)はないが、選手が肖像権の使用に制約をうけていることへ首をかしげる動きがのぞいたのは、80年代に入ってすぐのことだ。
有名ロードレーサーが、外国のレースで副賞に高級車を贈られ、どうしたものかと困惑した(87年)よりも、前である。 91年、JOCが日本体育協会の加盟団体から脱退して独立したあともこのマーケティング方法はつづいたが、外国人選手の自在なコマーシャル活動を知った日本人選手は、いっそう「なぜ?」の気持ちを強くしたものだ。
90年代後半になると、さすがに競技団体も、選手とその周辺の言い分に耳を傾けはじめる。 自らの媒体価値を知った選手は、次々に一括管理から離脱しはじめる。そして今回の“断念”である。
筋みちは通ったが、1社2億円で15社のスポンサーが名を連ねる現行(01〜04年)に代わる財源探しは容易ではあるまい。 「必ずしも全社が選手をモデルに望んでいるわけではないので・・・」とJOCに関係する1人は言った。
この強気と楽観。押し進めていけるなら、それはそれで結構な話、としておこうか―。 ※関連掲載バックナンバー(2001年2月28日)
vol.34 「肖像権を返して!! 私プロなんです」 |