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■vol.180(2003年12月19日発行)

【佐藤次郎】 再びあのティーグラウンドへ
【市川一夫】 地域クラブの必要性〜JOC会長が初めて言及〜


再びあのティーグラウンドへ
(佐藤次郎/スポーツライター)

 先だって、東京・青山でこぢんまりとした作品展が開かれた。大通りから少し入った静かな通りの、居心地のよさそうなカフェバーで11日間。展示されたのは絵手紙を中心とした、およそ50点の作品である。
 壁にかけられた絵手紙には、こんな言葉がそれぞれに書きつけられていた。

 「7年ぶりのゴルフに ぜんしんの細胞が大拍手」
 「背のびできる 大きく大きく 深呼吸できる 大きく大きく 身体動かせるってサイコーだね」
 「ずっとずっと信じていたよ ベッドの上でもこの日が必ず来ると 自分自身を信じていたよ」

 作品展を開いたのは中溝裕子である。ゴルフのツアープロとなって3年目だった1991年、突然に前白血病ともいわれる骨髄異形成症候群を発症し、6年前に骨髄移植の手術を受けた。その後、2年半にわたる壮絶な入院・闘病の日々をへて、いま完全回復への道をたどっているところだ。

 38歳になった彼女は、講演や文筆活動、絵手紙作りと幅広く活動している。が、やりたいことはそれだけではない。一番大事な願いは心の奥にちゃんとしまってある。
 「もう一度、トーナメントに出てみたい」
 長くてつらい闘病生活。不安を消し去ることはできない。それでも、このことだけは一度も忘れなかったのである。

 退院してからも厳しい戦いが続いている。薬の副作用は強烈だった。退院後、しばらくは食事もとれなかった。明るいところでは目が痛んでサングラスを手放せない。ふつうに生活していても疲れやすい。だが、それでもなお、心の奥底にはツアー復帰の願いがひそやかにあたためられている。
 
 そしてことし、彼女は大きな一歩を踏み出した。7月、郷里である滋賀・彦根のゴルフ場で18ホールを回ったのである。1ラウンドのプレーをするのは7年ぶりだった。今回の個展に出品した絵手紙の言葉は、その時の感激をストレートに表したものだ。

 「再び 緑のじゅうたんをこの足で踏めた。足裏が芝の感触を覚えていた。私は懐かしい芝の香りに包まれ 喜びと感激で全身が震えた」
 「頑張ったら頑張った分 神様からのごほうびがあるんだね」

 スコアは96だった。苦労という言葉を思わせる数字だった。しかし、その重い苦労は7年ぶりのフルラウンドという形でまずは報われたのだ。
 「生きる気力があったからこそ、いまの自分がある。そういう強さ、勇気や元気をたくさんの人に伝えたい」
と彼女は語っている。

 いつかトーナメントのティーグラウンドに再び立つ時が来れば、それはプロゴルファー・中溝裕子のもっとも偉大な勝利となる。

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地域クラブの必要性
〜JOC会長が初めて言及〜
(市川一夫/スポーツライター)

 12月6日付け読売新聞『変わるスポーツ』4部提言に日本オリンピック委員会(JOC)竹田恆和会長のインタビューが掲載された。

 注目されることは、高い競技水準を維持し、世界と競うためには現行の選手育成、強化システムの構造改革が必至であるとの考え方をトップ自ら初めて公表し、日本の競技力基盤を支えてきた企業スポーツ活動が機能を失いつつある現状をようやく認めたことである。

 もう少し踏み込んで言えば、遅まきながら組織として現状認識したうえで、対策としてクラブ育成に注力することで国際競技力を維持、向上させたいという意思表明と推測出来る。

 竹田会長はかつて馬術選手として活躍し、今日では国際競技連盟(IF)役員などの活動を通じて欧米のクラブが果たす役割と機能については深い認識と理解を持った、日本において最も国際スポーツ事情に精通した一人である。

 発言の中で「スポーツを支える組織として欧州型スポーツクラブを育成する必要があるが、すぐには移行できない面もあるので今は過渡期である。移行するためには当面企業に社会貢献の一環として支援してもらうことが重要である」と述べている。

 企業スポーツの縮小や撤退はここ2〜3年の現象ではなく、すでに10年程前から顕著に現れていて問題視されていたのだが、抜本的な対策は打ち出されていなかった。

 スポーツを所管する文部科学省は昨年度『企業スポーツに関する調査研究有識者会議』なるものを設置して調査・検討を行い、『ニッポン』の未来を支える企業とスポーツのパートナーシップを求めて、と題する提言を行った。

 この会議には当事者であるJOCも当然ながら参加しているが、今までにないスポーツを支えてきた企業の代表や選手代表も加わって多面的な意見交換がなされた。

 そこで、日本スポーツ界のトップである竹田会長の意思表明によって、加盟団体がクラブ育成に注力することを期待したいのだが、その多くは権威主義、縦社会、マネージメント機能不全に陥っている現状にあり、相当の指導力や支援を継続しない限りお題目に終わる懸念が大きいと言わざるを得ない。

 豊富な財政を持つJOCには、目的達成の為にクラブ育成事業を大きな柱にして加盟団体を引っ張り支援することを期待したい。

 そして、何よりも分裂した日本体育協会と垣根を取り払い、新しい発想でプロジェクトを組むような柔軟な姿勢を迅速に打ち出して欲しいものである。

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