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■vol.182(2004年1月7日発行)新春号

【杉山 茂】 学生スポーツは爽やかさのアピールを
【早瀬利之】 プロゴルフ界2004年を展望する
【佐藤次郎】 オリンピックは誰のものか
【上村智士郎】 天皇杯決勝を見て


学生スポーツは爽やかさのアピールを
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)
 新春はいつも学生スポーツが、その意気を示す。

 今年光ったのは東京・箱根往復大学駅伝で新設された最優秀選手に鐘ヶ江幸治選手が選ばれたこと、だ。

 同選手は、特別に参加した日本学生連盟選抜チームの一員で第5区、いわゆる“山登り”を受け持った筑波大学の4年生である。

 80回を記念した大会の敢闘賞といった趣ではなく、堂々、区間1位をマークしてのものだけに、重みもある。

 この選手を選んだ人たちの“目”と、姿勢もなかなか、といえる。

 賞には、将来、国際的なレースで活躍する選手に、とする期待も込められているようだが、鐘ヶ江選手には「卒業後は旅客機の整備士」(読売新聞)という進路が決まっている。

 マスコミ、とくにテレビが、有望な若手とみるや「次は世界の舞台」「オリンピックでメダル」をと言わせたがる風潮は、他愛なさすぎる。

 スポーツの道ばかりが、彼(彼女)らの求めるさきではないのだ。

 学生スポーツでは、最優秀選手よりも「最も印象に残った選手」賞を複数で設けるほうが似合っている、と思うのだが、図らずも、この大会の初受賞はピッタリの選手になった。

 トップレベルの“フルタイム化”が強まる風潮のなかで、学生スポーツは爽やかさをアピールしてこそ“存在感”を保てる。

 大学の対抗戦が、国内を代表する競技会になり得るのは、もはや限られたスポーツであり、国際レベルとは一線を画することにもなる。それでよいのではないか。

 鐘ヶ江選手が、日本長距離界のホープなどともてはやされることなく、自らの快走で、学生生活と競技者生活をしめくくったのは清々しかった。

 学生スポーツは、多くの角度から論じられていいテーマだが、それさえも古いカラに閉じこめられているのか、活気に欠ける。今年は大いに語りたい―。

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プロゴルフ界2004年を展望する
(早瀬 利之/作家)

 早くもアメリカの男子ツアーは1月の第2週から開幕する。アメリカ男子はオフ期間が1月半と短く、そのため充分に調整する期間が無い。試合をこなしながら調整していく他ないわけで、3ヶ月間もオフが続く日本とでは、果たしてどちらが良いのか、選手とファンでは、立場のちがいがある。

 冬はウインタースポーツをやればいいのだが、残念ながら南北に長い日本では、熱い国の人は苦手とする。やはりゴルファーはゴルフしかないのが現状。したがって、トーナメントを見たい気持ちは強く、試合のテレビ中継が待ち遠しい。

 さて、国内ツアーだが、男子は海外グループと国内グループに分かれた。アメリカツアー参戦組は丸山茂樹をはじめ、田中秀道、久保谷、宮瀬。シニアに飯合肇、ヨーロッパツアーには佐藤信人が出かける。

 主だった選手が海外にグランドを捜したため、国内ツアーはモヌケのカラかと思ったら、幸い宮里優作が残った。伊沢、片山、それに新人の宮里、それ以外は50に手が届く大ベテラン勢の強みとワザが見られる。

 今年は昨年ゼロ勝のジャンボ尾崎の優勝が期待されるが、この人、3日間で精一杯になった。アマ・プロを含めて5日間試合は、きつい。集中力に欠けて尻すぼみになっている。でも、努力する大ベテランだけに、やはり期待は大きい。

 女子プロ界は新人の古閑、宮里藍ら、出揃った。東尾はアメリカツアーだが、20代のプロの活躍で、土曜日のテレビ中継が復活する勢い。今年は男女とも面白くなりそうだ。

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オリンピックは誰のものか
(佐藤 次郎/スポ−ツライター)

 オリンピック・イヤーを迎えたところで、JOCや各競技団体、そしてスポーツ界全体にあらためて肝に銘じておいてほしいことがある。「オリンピックは選手のためにある」ということを、だ。
 
 もちろんオリンピック・ファミリーとは競技者だけではない。運営する側、指導者や役員、メディアや観客などを含めたすべての関係者がオリンピックを構成するファミリーである。ただ、第一の主役は言うまでもなく実際に競技をする者たちだ。

 ところが、関係する各スポーツ団体の幹部たちがそのことを常にちゃんと頭に置いているかというと、必ずしもそうではないようにも思われる。いろいろな例があるだろうが、そのことをもっとも感じるのは、「○○界のために」というような言葉を聞く時だ。
 
 「日本の陸上界のためにメダルを目指してほしい」「水泳界のために頑張れ」「日本の野球界のためにも勝たねばならない」「柔道界のために、ぜひ金メダルを」−−。たとえばこうした言葉が語られるたびに違和感を感じるのは、個々の選手ではなく、組織や団体を優先し、重視する意図が表に出ているからだろう。

 スポーツとは体を使った自己表現であり、あくまで個人的なものである。あえて言えば、すべてのスポーツは「自分のための」ものなのだ。

 なのに、「○○界のために」をしばしば強調するスポーツ界の長や幹部たちは、一人一人の選手のことは考えずに、組織の名誉や団体の発展ばかりを意識しているのではないだろうか。いや、場合によってはトップに座る自分たちの名誉のことを考えているのかもしれない。
 
 オリンピック出場やそこでの活躍が、それぞれの競技の発展に大きく寄与するのは間違いない。団体の幹部たちが全体を考えるのは当然のことではある。が、それでもなお、大会に際してもっとも優先されるべきは出場する選手たちの競技であり、彼らの心であるべきだ。「○○界のため」ではなく、オリンピックで最高のパフォーマンスをしようと願う選手一人一人のために、組織や団体は尽くしていくべきなのである。
 
 オリンピックの代表選手選考では、特にこのことをよく考えてほしい。これまではしばしば、「○○界全体のために」「日本○○界としては、どうしてもメダルを取らねばならないのだから」などとして、公平感を欠いた、やや恣意的な選考が行われる傾向がさまざまな競技であった。

 だが、そうではないはずだ。「○○界がメダルを取るために」選手を選ぶのではなく、公正な選考で選ばれた選手が、それぞれにメダルを目指すというのが本来の形なのではないのか。今回こそは、本当に選手のためを考えた選考を各競技で行ってほしいと思う。

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天皇杯決勝を見て
(上村 智士郎/スポーツライター)

 1月1日今年も恒例となった“元日サッカー”天皇杯決勝。ジュビロ磐田対セレッソ大阪の対戦に51000人余の観客が国立競技場に詰め掛けた。例年に無い“暖かい正月”の影響も少なくはないだろうが、在京ではないチーム同士の対戦でこれだけの観客が集まったということは、ここ数年来の“元日はサッカーで”という習慣が一部に定着してきたということだろう。

 さて、試合の内容は攻守の切り替えの早い試合展開で、両チームが最後までゴールに執念を燃やす、日本一を決めるのにふさわしい試合となった。結果は1−0でジュビロ磐田が勝利し、チームにとってこの大会初の栄誉に輝いた。

 さて、この試合で最も輝きを放っていたのは、やはり“ゴン”こと中山雅史だろう。36歳を迎えた昨シーズンは怪我に泣かされ、一部では引退説も囁かれたが、リーグ終盤になんとか途中出場ながら試合の臨めるコンディションに戻してきた。

 この試合でも、後半22分からの交代出場だったが、彼の登場を、ジュビロサポーターだけでなくセレッソサポーターも立って出迎え、格違いの存在感を見せ付けた。実際のプレーでも年齢の感じさせないアグレッシブで気迫に満ちたプレーで、それまで一進一退だった試合の流れを一気にジュビロ側に引き寄せた。結局両チーム唯一の得点となった前田の決勝点も、彼が絡んで生まれたゴールだった。

 だが、もう一人この試合で注目に値する選手がいた。セレッソの大久保だ。若干20歳の若きストライカーは、正真正銘チームの柱としてセレッソを牽引していた。そのプレーの特徴は中山同様のアグレッシブなプレーである。

 最近の若い選手には珍しく、リスクのあるシーンでも臆せず顔を出し(ボールのもらえる位置に動くこと)、ライン際でも決して諦めることなくボールを追い続け、チームにチャンスを呼び込んでいた。そういう意味で90分間常に集中したプレーができていたのは彼一人だった。

 だが彼のそうした激しさ、勢いは、時に審判に向かうことがある。納得のいかないジャッジがあると、思わず言葉で、アクションで、その気持ちを表してしまうのだ。この辺りが昨年のJリーグ終盤、彼の退場をきっかけにスポーツ新聞紙上などをにぎわせた原因だろう。ぜひとも周囲の大人が弱冠20歳の若者の熱い気持ちを大切に見守ってほしいものだ。

 ところで、そうした大久保の激しいプレーは他ならぬ中山の若い頃を彷彿させる。彼も若い時は時には激しく全身を使ってプレーをし、時にジャッジに激昂したものだ。だが、中山と大久保と比べた時に決定的に違うのはスキルだろう。大久保のうまさは若い頃の中山の比ではない。それどころかボール扱いだけ見れば、今をそのまま比べても大久保の方が勝っているに違いない。日本代表のジーコ監督が彼が何試合結果を出せなくても使い続けようとする気持ちも分かる気がする。

 もう一つ、彼の優れた点は試合中、味方のプレーを非難しないことである。彼がサイドで相手ボールに必死に追いすがり、ボールを奪い取ってドリブルからセンタリングをしようとしても、ゴール前には味方は誰もいない。必死に相手ボールを追いすがって奪ったボールで、絶好のシュートチャンスを提供してもシュートミスで点にならない。そのような時にも、彼は数度頭を横に振るだけで、すぐにプレーに戻っていた。そんな時、大久保にすまなそうな態度を見せるチームメイトが森島だけというのも少々さびしい気がするが。

 もちろん、その大久保も100パーセントにいい所ばかりではない。この試合では、前半終了間際、競り合いの中で相手DFに軽く胸を押されただけなのに、顔を殴られたかのように倒れこみファールを誘った。こうした小賢しいプレーは彼には似合わない。彼が2年前まで在籍した国見高校の小峯監督も忌み嫌っているし、きっとプロになってからプロフェッショナルファールだとか、マリーシア(ブラジルなどでサッカー選手に必要だと言われる狡猾さのようなもの)だとか言って、周囲の大人が教え込んだものなのだろう。

 いずれもにしても、大久保は今のJリーグの選手の中で、数少ない見るに値するプレーヤーの一人であることには変わらない。その大切な逸材を周囲が時に時に温かく特に厳しく、見守って育てていってほしいものだ。

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