1月1日今年も恒例となった“元日サッカー”天皇杯決勝。ジュビロ磐田対セレッソ大阪の対戦に51000人余の観客が国立競技場に詰め掛けた。例年に無い“暖かい正月”の影響も少なくはないだろうが、在京ではないチーム同士の対戦でこれだけの観客が集まったということは、ここ数年来の“元日はサッカーで”という習慣が一部に定着してきたということだろう。
さて、試合の内容は攻守の切り替えの早い試合展開で、両チームが最後までゴールに執念を燃やす、日本一を決めるのにふさわしい試合となった。結果は1−0でジュビロ磐田が勝利し、チームにとってこの大会初の栄誉に輝いた。 さて、この試合で最も輝きを放っていたのは、やはり“ゴン”こと中山雅史だろう。36歳を迎えた昨シーズンは怪我に泣かされ、一部では引退説も囁かれたが、リーグ終盤になんとか途中出場ながら試合の臨めるコンディションに戻してきた。
この試合でも、後半22分からの交代出場だったが、彼の登場を、ジュビロサポーターだけでなくセレッソサポーターも立って出迎え、格違いの存在感を見せ付けた。実際のプレーでも年齢の感じさせないアグレッシブで気迫に満ちたプレーで、それまで一進一退だった試合の流れを一気にジュビロ側に引き寄せた。結局両チーム唯一の得点となった前田の決勝点も、彼が絡んで生まれたゴールだった。 だが、もう一人この試合で注目に値する選手がいた。セレッソの大久保だ。若干20歳の若きストライカーは、正真正銘チームの柱としてセレッソを牽引していた。そのプレーの特徴は中山同様のアグレッシブなプレーである。
最近の若い選手には珍しく、リスクのあるシーンでも臆せず顔を出し(ボールのもらえる位置に動くこと)、ライン際でも決して諦めることなくボールを追い続け、チームにチャンスを呼び込んでいた。そういう意味で90分間常に集中したプレーができていたのは彼一人だった。
だが彼のそうした激しさ、勢いは、時に審判に向かうことがある。納得のいかないジャッジがあると、思わず言葉で、アクションで、その気持ちを表してしまうのだ。この辺りが昨年のJリーグ終盤、彼の退場をきっかけにスポーツ新聞紙上などをにぎわせた原因だろう。ぜひとも周囲の大人が弱冠20歳の若者の熱い気持ちを大切に見守ってほしいものだ。
ところで、そうした大久保の激しいプレーは他ならぬ中山の若い頃を彷彿させる。彼も若い時は時には激しく全身を使ってプレーをし、時にジャッジに激昂したものだ。だが、中山と大久保と比べた時に決定的に違うのはスキルだろう。大久保のうまさは若い頃の中山の比ではない。それどころかボール扱いだけ見れば、今をそのまま比べても大久保の方が勝っているに違いない。日本代表のジーコ監督が彼が何試合結果を出せなくても使い続けようとする気持ちも分かる気がする。
もう一つ、彼の優れた点は試合中、味方のプレーを非難しないことである。彼がサイドで相手ボールに必死に追いすがり、ボールを奪い取ってドリブルからセンタリングをしようとしても、ゴール前には味方は誰もいない。必死に相手ボールを追いすがって奪ったボールで、絶好のシュートチャンスを提供してもシュートミスで点にならない。そのような時にも、彼は数度頭を横に振るだけで、すぐにプレーに戻っていた。そんな時、大久保にすまなそうな態度を見せるチームメイトが森島だけというのも少々さびしい気がするが。
もちろん、その大久保も100パーセントにいい所ばかりではない。この試合では、前半終了間際、競り合いの中で相手DFに軽く胸を押されただけなのに、顔を殴られたかのように倒れこみファールを誘った。こうした小賢しいプレーは彼には似合わない。彼が2年前まで在籍した国見高校の小峯監督も忌み嫌っているし、きっとプロになってからプロフェッショナルファールだとか、マリーシア(ブラジルなどでサッカー選手に必要だと言われる狡猾さのようなもの)だとか言って、周囲の大人が教え込んだものなのだろう。 いずれもにしても、大久保は今のJリーグの選手の中で、数少ない見るに値するプレーヤーの一人であることには変わらない。その大切な逸材を周囲が時に時に温かく特に厳しく、見守って育てていってほしいものだ。 |