平成15年度第14回ミズノスポーツライター賞が決まった。最優秀作品は城島充『拳の源流―「神様」と呼ばれた男ベビー・ゴステロの生涯』、優秀作品は澤宮優『巨人軍最強の捕手―伝説のファイター吉原正喜の生涯を追う』と、高知新聞社『「高知競馬」という仕事』の2作である。
それぞれ内容の充実したいい作品だったが、選考会では『拳の漂流』が満票でスンナリ最優秀賞となった。
ベビー・ゴステロは1920年生まれのフィリピン人ボクサーである。戦前の昭和16年に来日、戦後、大阪のオール拳(在日韓国人、斉藤八郎主宰)に所属、フェザー級チャンピオンになった。 白井義男が世界チャンピオンになった時代に、ヤリの笹崎やピストン堀口と熱戦をくりひろげ、左手をダラリと下げた独特のゴステロ・スタイルで人気を博したボクサーであった。
一時代を画したボクサーが年を取り、いつしか忘れられ、日本人妻とも別れ、大阪の片隅で居候に近い生活をし、一度も故郷フィリピンに帰ることもなく、80歳の生涯を閉じたのだが、筆者の城島さんは丹念にその足跡を追っている。
偶然、ゴステロの存在を知った城島さんが彼の居場所をつきとめ間もなく、ゴステロは倒れて入院する。 殆ど取材もままならない。 そしてやがて、最悪の事態―死を迎えることになる。なんと城島さんは有給休暇をとり、ゴステロの遺骨を持って、フィリピンの郷里イロイロ島バラスまで訪ねている。 フィリピン旅行で出会った人たちがまた魅力的で、作品に厚味を加えている。
新聞記者の取材の枠を大きくはみ出すほど入れ込んだのは、新聞社の編集方針と自分の思いがマッチせず、次第に溝がひろがっていったからのようだ。 その代償行為としての、ゴステロへののめり込みであろう。 その延長線上の遺族探しであったように見える。
取材にはそれにふさわしい「時」がある。その「時」は早すぎても、遅すぎても実りのある取材とはならない。若い城島さんはもちろん、ベビー・ゴステロの現役時代を見ているわけではない。 彼と知り合った後も、病院のベッドに寝たままの彼から、殆ど取材らしい取材はできなかった。 やむなく彼の周辺、彼と付き合いのあった人たちを取材して歩くしかない。
取材の「時」を失ったかに見える。たしかに、隔靴掻痒の感なきにしもあらずだが、それが却ってこの本に、ふしぎな魅力を与えたように思う。 この本のタイトルは『拳の漂流』というより、『ペンの漂流』あるいは『ある新聞記者・魂の漂流』といいたいほど。 筆者のゴステロに托する思いが強い。
その強い思いが、次々にゴステロをサポートした大阪の厚い人情をさがしあてる。長年、殆ど無償の奉仕としかいえないような支援を続けた町会議員の肥後勝秀が「自分とゴステロの関係は“腐れ縁”だ」と言ったというエピソードなどからは、今や失われてしまったかに思える大阪という町のどこかすえたような、人恋しく、なつかしいような匂いが、濃厚に漂ってくる。 大阪は “腐れ縁”的人間関係がよく似合う、とつい思いたくなる。 この人間臭い町!黒澤重吾の初期の風俗小説「背徳のメス」(昭和36年・直木賞受賞作)などに漂う街と人間の匂いを、ふと思い出させるものがあった。
筆者が取材した“周辺人物”は無名だが、みんな熱い感情をもっており、大いなる魅力がある。ベビー・ゴステロという「神様」は、その人たちの間から透かし模様のように、幾分頼りなく、あるいはかげろうのように薄ぼんやり浮かび上がる。 それがいかにも「左手をダラリと下げた」風変わりなファイティングスタイルをもっていたゴステロらしい、という気もする。大阪の場末の人間群像を、街ぐるみすくみ取った情熱的ベビー・ゴステロ伝、としてとても面白く読んだ。 |