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vol.199(2004年5月12日発行)

【杉山 茂】少年スポーツは“遊びごころ”至上で
【高田実彦】味気ない談話
【佐藤次郎】虚像はもうたくさんだ
【松原 明】女子サッカー選手のフィジカルサイズ
【岡崎満義】おすすめのスポーツコラム
―東京新聞夕刊の「サッカーの話をしよう」―

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少年スポーツは“遊びごころ”至上で
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 総務省がまとめた統計によると、少子化の傾向がいぜんとして収まらない(5月5日発表、04年4月1日現在)。

 15歳未満の子どもの数は約1781万人、前年より約20万人少ない、という。低下はこれで30年連続となり、“国の力”の将来に不安を感じさせる。

 スポーツ界への影響も極めて大きいハズだが、その割に深刻感は濃くない。

 直近で次代へ影響するのは、高校生のスポーツ愛好者数が、1つのバロメーターになるが、全国高校体育連盟機関誌によると、最近3年間(01〜03年)の総数は125万人台で落ち着いている。

 このあたりのデータが、深刻さを薄らさせるのだろうが、子どもの数が少ない、という現実の波は、確実に、スポーツ界へ押し寄せている。

 これまでは、スポーツ好きな子どもたちを中心に考えていればよかったが、これからは(いささか遅い、とは思うものの)、いかに多くの子どもたちにスポーツに親しんでもらうかの“働きかけ”が欠かせなくなる。

 そのあたりのプログラムが、一向にスポーツ界からは見えてこない。

 総て競技志向で、強化のベルトに乗せる金の卵を探すばかりが、スポーツ団体の仕事ではあるまい。

 シーズン制の確立、各スポーツ間の交流など少年スポーツの新しい展開を、団体の垣根を取り払って図るべきなのだ。

 いま、「子どもの居場所」という動きが盛んだ。外での遊びの楽しさもその1つだが、といって、かつて、路地を絶好の"競技場"とした野球ごっこ、ゴム跳び、ドッチボール時代が再来するわけではない。

 そうなれば、スポーツがいかに遊びごころを打ち出して、子どもたちの興味を誘うかに、期待がかかる。

 スポーツは、まず遊びありき、だ。その中から、一握りの競技志向の少年が出ればいい。

 強くて巧い「少年競技者」を育てるコーチよりスポーツが好きな少年を増やす“コーチ”にも光があてられなければいけない。

 このシステムを、旧来の学校スポーツ、新型の地域スポーツクラブとともに築きあげられれば、スポーツ好きという面では“数の不安”を感じずにすむだろう―。

味気ない談話
(高田 実彦/スポーツジャーナリスト)

 セ・パ両リーグとも大熱戦が続いているが、テレビの前のファンには、それほど熱戦の実感がない。なぜだろう。

 その原因の1つが、監督のシレッとした談話にあるような気がする。実例を挙げよう。

 去る9日。5対2から平井、野口が一気に8点を奪われて大逆転されたときの中日落合監督。「どこがおかしい?これで先発全員が一回り悪いところが出たということだよ」

 逆転勝ちした阪神岡田監督。次の対戦は東京ドームに乗り込んでの巨人戦だが、といわれて、「当然勢いに乗るよ」

 1対2の僅差で広島に敗れた巨人堀内監督。「ベイルがよすぎた。横から投げるから目先が変わって戸惑っちゃう。完敗です」

 新聞記事であるから語調もアクセントもわからないが、もし力説していたり悔しがったりしたら、「当然!」と「!」がついたり、「完敗です」のあとに、「と吐き捨てるように言った」などがつくところだ。私がそういう仕事をしていたから経験上よくわかる。それがないのは、そろいもそろって監督自信が白けているからで、こういう無味乾燥な活字になるのだ。

 今はユニホームを着ていない人のことを書いてもしょうがないが、去年の今ごろ快進撃していた阪神の星野監督はこういった。「タイガースの新しい歴史をつくるんだ!」。昔の巨人長嶋監督は、負けても負けても「メークドラマです」と言い続けて、ファンの期待をつなぎ、自分と選手を鼓舞していたものだった。

 プロ野球の監督には、仕事として5つのことがある、と「野球術」(ジョージ・F・ウィル著)という本の中で大リーグの名監督トニー・ラルーサの言葉が紹介されている。その5つ目はこうであるという。

 「これは近年、急速に重視されてきたことだが、監督はチームを代表してメディアに対応しなければならない。試合前にも試合後にも、分析や評価の結果を彼らの前で明らかにする必要がある。こうしたインタビューには大変な努力と繊細な心遣いが要求される。それはチームの対外イメージに大きく関わる。また、直ちに選手に伝わって、選手の志気に影響を与えるからだ」

 この基本に沿っていえば、いまの日本の監督はほぼ全員落第である。落合監督は達観しているのか第三者風なスカシ方だ。岡田監督には喜びも熱気も前向きの姿勢もない。堀内監督は、打てなきゃ勝てないんだよウチのチームは、といいたそうな責任転嫁だ。

 これでは対外イメージを悪くし、選手の志気に悪影響を及ぼすだけではないか。ファンに対する「説明責任」を果たしていないばかりか、チームのイメージアップになにも貢献していない。

 ペナントレースはまだ30数試合を消化しただけで、監督がカリカリしたり選手をけしかけたりする時期ではないのだろうが、ファンは、一喜一憂しているのだ。もう少しまともにファン心理に対応したらどうなのか。メディアもケンカ覚悟で「読み応えのある」監督談話を取ってこい!

虚像はもうたくさんだ
(佐藤 次郎/スポーツライター)

 「ハルウララ」の話はもうたくさんだと思う。当事者たちに対して、そう思うのではない。相変わらず、ことあるごとにワンパターンで取り上げようとする各メディアは、もうそろそろ考えるべきではないのかということだ。
 
 ハルウララのフィーバーが高知競馬にとってまたとない追い風となったのは言うまでもない。地方競馬の大半が存亡の危機に立たされている時代である。当事者がこれを恰好の売り物と考えるのは当然だ。実際、高知競馬は今回のフィーバーで大いに売り上げを伸ばしたと伝えられている。一時的なものとはいえ、これを活性化のきっかけとできれば言うことはない。
 
 だが、メディアの側としてはどうなのか。もちろん100連敗の競走馬というのは興味を引く話題だし、ハルウララという名前もなんともいえず魅力的なことは確かだ。とはいえ、「負けても負けても走り続ける健気な姿」という、つくられた単純なイメージばかりを伝えるのはもうやめた方がいい。第一、競走馬は擬人化して描くべきものではないだろう。
 
 スポーツとしての面、興行としての面、ギャンブルとしての面、ビジネスとしての面がそれぞれ複雑に入り組んで形づくられているのが競馬である。馬主、生産者、調教師、騎手、厩務員、またファンや運営側と、関係者も幅広い。その中で競走馬は、ある時は力強いパートナーであり、またある面ではビジネスやギャンブルの道具であり、ヒーローでもあり、生活の手段でもあり、走れなければ切り捨てられる存在でもある。

 もうひとつ、馬は走りたくて走っているわけではないということもつけ加えておこう。そして、そうしたさまざまな面をすべてひっくるめたところに競馬の魅力、面白さはあるのだ。
 
 なのに、これまでのメディアの取り上げ方は「負けても頑張る姿に励まされる」「癒しを感じる」などという、人間側が勝手につくったイメージを繰り返しているだけで、そのインサイドまでも描いたものはほとんど見当たらなかった。100連敗の馬の存在は読者や視聴者にとって興味深い話題ではあるが、さらにひと手間、ふた手間をかけて、地方競馬の実情や厩舎世界のさまざまな面までも伝えてこそ意味があるのではないか。それでこそ競馬の魅力も伝わるというものだ。しかし、ブームがピークを過ぎつつあるいまも、登場するのは相も変わらぬフィーバーぶりの紹介や健気な馬の物語でしかない。
 
 これはある意味ではメディアによってつくられた虚像である。それもまた一種のファンタジーとして面白いものではある。だが、もう十分だ。
 
 これは日本のスポーツメディアの最近の傾向を象徴しているようにも思える。何かひとつブームになると、そればかりに集中するのだが、ワンパターンのイメージだけを繰り返し伝えるばかりで、その裏側まで踏み込んでいくことがない。つまりは、スポーツの本当の魅力や面白さをちゃんと伝えていないということだ。
 
 本当のところ、ハルウララを取り巻く人々のストーリーは、興味深く、かつ感動的なものだろうと思う。が、我々はまだそれをほとんど目にしていない。

女子サッカー選手のフィジカルサイズ
(松原 明/東京中日スポーツ報道部)

 昨年9月、アメリカで開催された女子サッカーW杯を取材したとき、アメリカ代表・エイプリル・ハインリックス監督にホテルで話を聞いた。

 「日本女子はフィジカル面で劣るし体力でも勝てない。そうした問題をどうしたらいいか」との私の質問に、監督はこう言った。

 「日本人は小柄だから勝てない、と思うのは間違いです。アメリカ代表でも、160cm以下でレギュラーで活躍している選手もいる。練習方法と研究、努力でカバーできます」と答えた。

 W杯のベスト4に勝ち残った国(最終結果:1位ドイツ、2位スウェーデン、3位アメリカ、4位カナダ)はハイレベルのテクニックと、激しい競り合いにも勝つ、フィジカル面のすごさを見せた。

 例えば、4位に終わったカナダのMF、身長158cmの黒髪の美少女、マセソンが目立った。ボランチで実に良く動く。相手の動きの先手を取り、攻撃に参加し、疲れを知らない機敏さだった。

 「小柄なら相手を上回る敏捷さが大切。これは練習で身に付きます。日本の選手もアメリカで組織的練習を研究したらどうでしょう」と、ハインリックス監督は付け加えた。

 いまや、女子のDF、FWには180cmクラスの大柄でダイナミックな選手が多い。

 W杯4強は、この大小のコンビネーションが絶妙で、互いに補い合い、見事な連携を見せていた。

 ハインリックス監督も160cmの小柄だが、現役時代は第1回W杯で得点王になったほどだ。

 日本の練習が遅れているのか。やり方がまだ分からないのか。まだ解答は出せないが、フィジカルサイズを気にするな、というハインリックス監督のアドバイスは、アテネ目指す日本に勇気を与えるものだ。
 
 小さくても大型を倒せる、その成果をアテネで見せて欲しい。

おすすめのスポーツコラム
―東京新聞夕刊の「サッカーの話をしよう」―
(岡崎 満義/ジャーナリスト)

 毎週水曜日、東京新聞夕刊に掲載されるスポーツコラム―大住良之「サッカーの話をしよう」を愛読している。大住さんはサッカー評論家としてすでに著名な方だが、このコラムはほんとうに面白い。該博な知識もさることながら、サッカーに対する愛情が行間からふきこぼれていて、何とも気持ちがいい。

 最近も「サッカーはなぜ11人で試合をするのか」を論じた回は、そのユーモアあふれる筆致に思わず笑いを誘われた。そして4月28日付の「日本女子―貧弱な環境が鍛えた」は、出色のコラムとなった。1500字程度の短い文章の中に、スポーツで忘れてはならない大事なものがあることについて、鋭く、分かりやすく書かれていて感銘をうけた。

 苦戦が予想されていた日本女子代表が、強豪北朝鮮を3―0で一蹴した試合を取り上げて「キックオフから終了のホイッスルまで、感嘆のしどおしだった。こんなに立派なサッカーを見たのは、何年ぶりだろうか」と書きおこし、それは偶然の勝利ではなく、「相手チームを研究し尽くし、日本の力と正確に対比させて戦略を練り、選手を鍛え上げた上田栄治監督の力量」と、「それぞれの役割を忠実にこなし、自分自身の力を100パーセント発揮した選手たちの精神的な強さ」がみごとにマッチした「一生に何度もできないパフォーマンス」の結果だった、とほめちぎっている。

 さらに感動的な文章が最後にあった。

 「この予選をめぐる報道のなかで、選手たちの多くがアルバイトをしながらサッカーを続けていることが大きく扱われた。それを何とかして欲しいと訴える選手もいた。しかしそんなことは当然ではないかと、わたしは思う。選手たちは、誰かのためにサッカーをしているのではない。自分自身を表現する最高の手段として、自分自身のために取り組んでいるのだ」

 「わずか20数年の歴史しかない日本の女子サッカーだが、企業の売名や宣伝に利用され、中途半端な状態で放り出されたことが何度もあった。そうした懸念もなく、自分自身の力で生計を立てながら誰はばかることもなく大好きなスポーツに取り組めるのは、なんと幸せなことだろう」

 「オリンピックに出場しても、現状では、女子サッカーの選手たちは、それで生活していくことなどできない。間違いなくアルバイト生活は続く。打算で取り組んでいるわけではない選手たち。そこにこそ、彼女たちの強さと美しさがある」と、文字通り、美しい言葉で結ばれている。

 どんなことでも、ものごとの始まりに苦難はつきものだ。しかし、その苦難の中には誇りと喜びが、ざくろの実のようにぎっしり詰まっている。日本の女子サッカーはまだ草創期といえるだろう。

 選手たちはいま、草創期ならではの「苦難」をたっぷり味わっているようだ。

 今やスポーツは“金まみれ”といっていい側面を見せつけられることが多い。スポーツで生計を立てて悪いわけはない。それは正当な行為だ。アスリートは清貧であるべし、などと言っているのではない。タイガー・ウッズのような億万長者が出現してもいい。一方で、アルバイトをしながら生計を立て、残された時間を目一杯使って最高の自己表現としてのサッカーをする、女子サッカーのような存在があっていい。まぶしいような存在感がそこにはある。それは忘れられかけた貴いもの。スポーツは何と豊かなものであるか。

 そのことをキチンと見極めるジャーナリストがいることがうれしい。



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