アテネで金メダルの有力候補、日本のシンクロナイズド・スイミングだが、デュエットの立花美哉・武田美保組の演技は、ここにきてかなりの修正がなされたようだ。
これまではより日本的な美、これぞ日本、というものを追及しようと、歌舞伎をテーマにして演技を構成してきた。和太鼓や三味線はもとより、大きく見えを切る動作なども取り入れて、歌舞伎そのものを前面に押し出した。これでニッポン・アピールは万全、とのぞんだ五輪予選で、ロシアに完敗、よもやの2位に終わった。採点競技の難しさでもある。
井村ヘッドコーチは「民族性を出しすぎた」と、日本的な美が思ったほど理解してもらえなかったことを反省する。
そして歌舞伎十八番の勧進帳のベースは残しながら、エレキギターの音もとり入れ、日本人形のようなかわいらしい動きを加えた、という。日本的な歌舞伎へのこだわりを薄めて、コミカルな明るさや楽しさを中心にすえたようだ。
日本人ほど日本人論が好きな国民はない、といわれる。日本人とは何か、日本的とは何かを、みんな問いつづける。スポーツの世界でも、末続選手がナンバ走りを取り入れたとか、桑田選手が古武術を応用しているとか、日本的なものへ目が向く流れも出てきた。
スポーツがボーダレスになり、ユニバーサルなものになればなるほど、ローカルなもの、民族性というものが求められるという側面もあるようだ。
何が日本的なものなのかは、なかなか難しい問題だ。異文化交流の難しさだ。ローカルな、ナショナルな価値を、グローバルな規模で理解されたいというのだから、これは難しい。
少し前、井村コーチと立花・武田組が、日本を一番よくあらわすものを教えてほしい、と京都の大きな呉服屋へ行って、歌舞伎の舞台でも使われる華やかな着物をあれこれ選び、それをヒントにコスチュームを作ったり、一連の日本探求ぶりをテレビで見た。
そのとき私は、日本的というのなら、歌舞伎よりもむしろ、タカラヅカの男装の麗人を研究する方がいいのではないか、と思ったものだ。
何が日本的なものかは、本当に難しい。自分探しが往々にして迷路に入り込んでしまうように、日本的なるもの探しも容易ではない。
スポーツで言えば、1964年の東京オリンピックの頃は、日本的なものははっきり目に見えた。“東洋の魔女”日紡の女子バレーボールであり、東京五輪でマラソン3位になった円谷幸吉選手が、メキシコ五輪の年に哀切な遺書を残して自死した事件などである。
日本的なるものは何かと、キョロキョロ探すことはなく、一途に生きることで十分日本的であった。大松博文監督と河西選手以下の魔女たちは、回転レシーブという、まさに日本的な技術を作り上げ、やがてそれはユニバーサルなものとなって広まっていった。最後の家族、あるいは擬似家族制度の輝きが残っていた。
あれから40年経って、今は日本的なものを必死に探さなくてはならない時代になった。勝つために、そして日本人選手としてのアイデンティティを確かめるために、新しい努力が求められることになったのだ。
家ではなく、個の自立が叫ばれる今、日本的なものを探求する傾向は強まってくる。自と他、私と公、個と集団、ナショナルなものとユニバーサルなもの……そういう問いの前に、誰もが立つことになった。
スポーツ選手も例外ではない。シンクロナイズドの立花・武田組の動きは、そのことを如実に物語っている。 |