「近鉄を買いたい」といって、突然、“プロ野球の救世主”然として世間に知れ渡ったライブドア。しかし、そのやり方はかなりいい加減な感じである。
いまからざっと30年前の昭和48年(1973年)に不動産業の日拓ホームが東映フライヤーズを買収した。当時の西村昭孝社長は「優勝を狙う」などと意気軒昂だったが、1年経営しただけで日本ハムに売ってしまった。球団を買うことによる“売名”が目的と思われた。
これと前後して、同じ昭和48年に西鉄ライオンズを太平洋クラブが買収した。この太平洋の球団オーナーは岸信介元首相の第二秘書として“政界の裏側に通じている人”といわれた中村長芳氏。ライオンズは黒い霧事件もありボロボロで、値段はたった1億円。タダ同然だった。
太平洋のライオンズへの資金投下は4年間で、次の2年間の資金はクラウンライターが出したが、この6年間のオーナーはずっと中村氏だった。 その中村氏が昭和52年(1977年)にライオンズを西武に売った。値段は40億円。1億で買って40億で売ったのだから「中村氏は6年間で巨額を懐にした」といわれた。このやり方は一種“球団転がし”だと球界内部で不評を買った。
ついで、昭和63年(1988年)2つの身売り騒動が起こった。南海がダイエーに、阪急がオリックスに(当時はオリエント・リース。球団買収を機会にいまの社名にした)に身売りをしたのだ。このときの値段はともに40億円といわれた。
この“売名”“球団転がし”につぐ身売り・買収劇が続いたことでプロ野球業界は、「球団身売りがこの後も頻繁に起こるようでは球界が不安定になる」と球団売買に神経質になって、「野球機構加盟金30億円」の新規則をつくるなどして今日に至っている。
ライブドアは、このような業界の警戒心と神経質さを知らなかったのか、知っていたとしたらそれを忖度する努力を十分にしていなかったと思われる。IT関連企業のことは知らないが、球団の買収劇には、これらの経緯や事実をふまえた“情報収集”や“根回し”や“協力体勢づくり”をしておく必要があった。それをどのくらいやったのだろうか。
プロ野球は、新聞社が音頭を取って新聞社・鉄道会社によって創業されたもので、以来球団を持ち続けている彼らには「つくって、育てて、守ってきた」強烈な自負がある。オーバーにいえば、プロ野球を育てるため巨費を投じてスポーツ新聞を発刊し、テレビ局を持ち、球場をつくってきた。その筆頭が読売新聞社である。現オーナー渡辺恒雄氏は独裁・独断的であるが、その人が君臨するその善し悪しはともかく、それなりの真摯な態度が必要だろう。
どこまでやってもらったのか知らないが、ライブドアは近鉄買収に際して星野仙一氏に口利きをしてもらったというが、それくらいでは業界に真意を疑われて当然である。プロ野球経営者にとってライブドアの社会的存在感と認識は、「あんた誰?」程度のものである。
しかも、ライブドアが提示した買収額が30億円だったと報道された。この額は笑える。 30年以上前でも「40億円は“バカ安”」といわれたのだ。阪急、南海が身売りを決意したときのパ・リーグの観客動員数は年間600万人。ドーム球場がなくて開催が天候に左右される不安定さもあった。いま、パ・リーグは貧してきたといっても昨年の動員数は1000万人台。ドーム開催が主体。その意味では段違いな安定業界になっている。 “売名”で買った日拓ホームはいっぺんに名前を宣伝できた。球団を持つメリットは限りなく大きく、日本ハムもオリックスも一気に一流企業の仲間入りをした。ダイエーの失敗は球団の失敗ではない。
こういう宣伝力と存在感のある“一流ブランド”を買うのに30億円とは、1ケタ間違っているのじゃないか。ロッテが年間40億円の「宣伝広告費」を30年間に渡って出し続けているのはこのためだ。近鉄が30億円で売ってくれ、といわれて「本気なのか、バカにするな」と受け止めたのはムリないところだ。
買収の名乗りをしたあと、堀江貴文社長は近鉄が試合している球場の外野席へ行って、「巨人の渡辺オーナーもこの熱気を感じて欲しい」というパフォーマンスをしたようだが、あのおっさんでも他球団のオーナー連も、堀江氏より頻繁に球場へ行って、おっさんなりにファンの熱気を知っているはずだ。
球団のオーナー会社では、朝の挨拶代わりに「夕べの戦い」が話題になって、朝から晩まで上から下まで、自球団の熱気に包まれているものなのだ。 7月12日にライブドアは「近鉄再生プラン」を近鉄に送付してあると発表したが、あれに近いことはどこの球団も考えている。同社はこれまでどのくらい「プロ野球への熱気や熱意」を見せてきたのか、寡聞にして知らない。ほんとうにプロ野球経営に加わりたいのなら、これから何年もねばり強く“熱気と誠意”を球界とファンに示していくことが必要だろう。
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