期待通りパリ・シャンゼリゼの表彰台に上がったのは英雄ランス・アームストロング(アメリカ、32歳)だった(7月25日)。
7月4日、リェージュ(ベルギー)をスタートした今年(第91回)の「ツール・ド・フランス」は史上初となる彼の6連覇成るか、が最大の焦点だった。
この過酷なレースは1回勝つだけでも、いや、1ステージ(区間)でトップを切るだけでも
“偉業”とされ 祝福と賞讃に囲まれる。6年連続の総合優勝は“神業”と言えるものだ。
レースは1903年に始まったが、6回優勝というのもアームストロングが初めてである。2004年の世界最高スポーツ選手の栄誉を、なんとか彼の頭上に輝かせたい。
王者、名手、スターを語るとき、劇的な人生はつきものだが、アームストロングほど波乱にとんだストーリーの“主役”はなかなか居ない。
トライアスロンの選手を経て自転車のロードレーサーに転向、21歳の1993年、世界選手権(プロの部)で初優勝 ヨーロッパ勢にショックを与えた。さらに、表彰式に現れた女性を誰もが“年上の恋人”と思ったが、実は17歳違いの母親であった。実力とこのエピソードでアームストロングの名は一気に広まった。
2年後の「ツール・ド・フランス」でチームの1人がコース上で激突死、アームストロングは、直後のステージで鬼神のような爆走を見せて優勝、空に向かって吠えながら人差指を突き出しゴールインした姿は、またまた、彼の存在を強くアピールするものとなった。
96年、プロの参加が解禁となったアトランタ・オリンピック個人ロードレース(221.85q)は金メダルを確信する観衆で17周のコースは熱気に包まれたが、トップに1分31秒遅れの12位、失望の声に包まれた。その直後、癌の宣告を受け、多くのファンは今度は悲痛の叫びをあげる。
当時の外電によると、病状は悪化し、いちじは頭部にまで転移したと伝えられ、競技生活の続行は絶望視された。
その苦境から再起し98年にレースへ復帰、99年の「ツール・ド・フランス」で、今回の快挙の出発となる初優勝を遂げたのだ。世界中のメディアが「奇跡の勝利」と報じたのはこの時である。
今年のレースは、序盤の好位置から第15ステージ以降3ステージ連続1位で“神業”の達成を揺るぎなくした。
アテネ・オリンピックには、アメリカ代表に選ばれながら「子どもたちとの時間を第一にしたい」との理由で辞退する意向だ。
シドニー・オリンピック(239.4q)も1位と1分29秒遅れの13位で退いているだけに、アテネでの不屈の力走を見てみたかったが、彼はこれまで息つく間もなく戦い続けてきた。
「ツール・ド・フランス」7連覇の夢に挑み、彼の信条である『強く生きよう〜Live Strong〜』が、来年も多くの人々を勇気づけてくれることを考えれば、オリンピックへの参加を無理強いはできない。
自転車競技ファンの思いは、アテネを越えて、もう次の「ツール」に飛んでいるのではなかろうか―。 |