先日、NHKTV「人間どきゅめんと」で、「室伏広治 金メダルへの一投」を見た。
父・重信さんが広治選手の子供の頃からのVTRを丹念に残していて、世界の超一流になるまでの歩みがあらまし見てとれて、なかなか楽しかった。
この中で、今年、広治選手が米オレゴン州の合宿のとき、かつてメダリストを育てたスチュワート・トガーコーチ(67)に指導を受けるシーンに目が止まった。 「ハンマー投は体の大きさに関係ない。大事なのは頭脳と運動能力=技術だ」 「早く回転すればいい、というものではない。リズムを感じながら投げろ。力まかせではリズムがつかめない」 「回転はゆっくりと始めよ。いきなりトップスピードにもっていこうとするな」 「ハンマー投はハンマー回転ではない」 トガーコーチの言葉の中に、しばしば「ゆっくり」という言葉が出てくるのに興味を覚えた。 昔、南海ホークスの杉浦忠投手がピッチングコーチになった時の話を聞いたことがある。
「投球モーションはゆっくりでいい。ゆっくり地を掃くように腕を振って、最後にヘソをきゅっと締めれば、速いボールがコントロールよく投げられる。そう何度も口を酸っぱくして、ゆっくり腕を振れ、最後にヘソをキュッと締めろ、と若いアンダースロー投手に教えたが、どうしてもわかってもらえなかった」と嘆いたことがある。 また、安打製造機といわれた大毎オリオンズの榎本喜八選手がバッティングの「本筋まで行った」経験を語ってくれたとき。 「本筋というのは、自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールをとらえているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです。ちょうど夢を見ているような状態で打ち終わる。その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我にかえって走りだす、そういったところまでいかせていただきました。」 西鉄ライオンズの稲尾和久さんも、長い投手生活の中で、1年だけピッチングしながら、同時に自分の投球フォームが脳裡にくっきりスローモーションのように映って、投球フォームの修正も自由自在にできた、と言った。 オリンピックに出場するほどの選手、一流のプロスポーツ選手なら、個人競技であれ、チーム競技であれ、100分の1秒を争う世界で格闘している。その目にも止まらぬ時間の中で「ゆっくり」と言う感覚が求められ、意識されるのは、何ともふしぎであり、面白いことだと思う。 現実の物理的な時間、誰でもが感じうる現実の時間が、鍛えぬかれた一流アスリートにおいては、きびしく勝敗を争う高温高圧の磁場に置かれたとき、イキがかさぶたのように削ぎ落とされ、隠されていた純粋時間、あるいはその人だけの身体時間がそこに現出してくるのだ、と言ってもいいだろうか。そしてそれは、心理的には「ゆっくり」として意識されるのだろう。 100分の1秒の極限の世界に「ゆっくり」時間が体得できたとき、そのアスリートは超一流ということになるのかもしれない。 |