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森本さかえ

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vol.211(2004年8月4日発行)

【杉山 茂】プロ野球界再編と放映権一括管理
【高田実彦】根来コミッショナーにモノ申す
【岡崎満義】スポーツの中の「ゆっくり」時間
【岡 邦行】“松本 紀彦さん”を知っていますか?

筆者プロフィール

vol.210 2004年7月28日号「“出ごと”・・・」
vol.209 2004年7月21日号「プロスイマー時代・・・」
vol.208 2004年7月14月7日号「ドーピング、全米陸上・・・」
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プロ野球界再編と放映権一括管理
杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 解決に向かおうとしているのか、混迷の度合いを深めているのか。分かりにくさを増す一方のプロ野球「再編成問題」だが、今回の論議のなかで、しきりと使われるのが「テレビ放映権の一括管理と分配」という言葉だ。
 
 お手本とされるアメリカ・プロスポーツ界で、最初にリーグが一括してテレビ局との間に独占契約を結んだのは、1962年のプロフットボールだ。
 
 それによって、確かにリーグ全体の繁栄と加盟チームの経営に安定をもたらせたが、全国ネットのカードが、地域(ホームタウンエリア)放送のカードを上廻る“質”を備えているからこそ成立する手法である。
 
 日本のプロ野球は、ジャイアンツがからまねば全国カードにならない。人気を含めた質のよいベースボールをジャイアンツはいつも保証してきたのだ。テレビ界はその安心感が欲しい。
 
 球界再編されたところで、ジャイアンツ中心の流れを変えるのは大仕事だ。おいそれとはいくまい。
 
 仮にだ、1リーグになったとしよう。リーグあるいはコミッショナー管轄の、その日の全国ネットは「タイガース対ライオンズ」、関東ネットでは「ジャイアンツ対スワローズ」が行われる。
 
 全国ネットのカードが国内ベースボールファンの最大公約数を得てつねに地域カードを上廻る興味、期待を示すとは限らない。
 どのように再編成されたとしても、これまでジャイアンツの収入となっていた放映権料が、分配されるだろうか。ジャイアンツが黙っているものか。
 
 NHK、民放を問わず、この半世紀、ジャイアンツカードに“対抗”して、パ・リーグの好カードを並べ、セ・リーグのジャイアンツ外カードで挑んだケースは数多い。
 
 ところが、視聴率で“完敗”。プロ・チーム側の“質”に対する意識の変革以外に好転の手はなかったのだが、怠ったままで過ごされてきた。
 
 それを、突然、新風刷新のカギのように「放映権の一括管理」を提案するのは軽率である。
 
 全国カードより、明らかにパワーフルなローカルカードが存在している間は、アメリカ型の実現は遠い。時に、アメリカでさえそれは問題となり悩みとなる。
 
 極言すれば、今回の騒動は、テレビ側にとって、ジャイアンツ戦の放映権がリーグあるいはコミッショナーの管理になるかどうか以外に関心はない。
 
 余談だが、そのジャイアンツカードも視聴率は下がる一方、アテネ・オリンピックが活気づけば、大ピンチになろう。だが、低調なこの数字さえも追い越すプロ野球の全国カードは生まれていない。
 
 ジャイアンツをこれまで“視ていた人”の中にはかなりの数の「アンチ」が含まれていた。
 
 昨今のジャイアンツは、倒したり、苦しめたりする妙味が乏しくなった。賢明なファンによる“質”への見限りであろうかー。

根来コミッショナーにモノ申す
高田 実彦/スポーツジャーナリスト)

 プロ野球界の合併騒動が続いているプロ野球の最高責任者のコミッショナーがなにもしないからである。根来周泰コミッショナーの「小田原評定につき合っていられない」というのは気持ちもわかるが、そろそろ仕事をしたらいいのではないか。
 
 差し当っては選手会が求めている「特別委員会」の開会だ。
 
 いまの野球協約は選手会労組ができるずっと前につくられたもので、労使関係についての条文がない。また一般の会社にある“就労規則”もないに等しい。そんなところから元公正取引委員会の委員長だった法律家の根来コミッショナーが動きにくいのはムリからぬところだろう。
 
 しかし、問題点ははっきりしている。まず選手会がいう「特別委員会を開いて、事情を直接聞かせてもらって考えたい」という要求を聞き入れて、近鉄側が球団経営ができなくなった事情を明るみに出して説明すれば、かなりの部分がはっきりして、次のステップに進むはずだ。
 
 この「特別委員会」は、野球協約の実行委員会の条項の中にあって、開催を決めるのは実行委員会で、その議長(持ち回り)は実行委員会の議長、ということになっている。
 
 いまこの議長は巨人の渡辺恒雄オーナー。開く気がさらさらなく、他の実行委員会員は“天皇”の顔色をうかがうばかりで、誰も提案しない。そんなところから根来コミッショナーは素知らぬ顔をしているわけだ。
 
 しかし、コミッショナーは「あらゆる会議」の開催非開催の権限を持っている。野球協約第8条の3「コミッショナーは必要ある場合、協約の定める会議の招集を命じることができる」である。コミッショナーが開こうと思えば開けるのだ。
 
 根来コミッショナーは先の実行委員会には海外旅行をしていて欠席した。帰国後欠席について聞かれて「小田原評定につき合うところじゃない」だった。意味するところは「(バカバカしい)オレの出番は合併が正式に決まってから」ということなのだろう。
 
 たしかにそうとも言える。なにしろ“公正取引委員会の委員長”だった人だ。公正にみれば、問題は
@ 球団の合併・リーグ再編は経営事情
A 余剰選手は他球団で面倒を見るのだから労組がらみのリストラ・クビの問題ではない
B 合併に至った原因は選手の年俸高騰にある
C 結局はどこも巨人戦がほしいという話
ということになる。
 
 こうみていくと、コミッショナーがバカバカしくなるのはムリなく、「特別委員会を開け」と命じなくても構わないことになるだろう。
 
 しかし、こういう状況にこそ今回の問題の本質があるのだ。つまり、野球協約には労組との関係に関する規定がないだけでなく、ファンとの関係の規定が何もないのだ。ファンなど眼中にないのが現野球協約なのである。その意味で選手会労組が署名運動という形で「ファン」を持ち出したのは作戦勝ちである。
 
 コミッショナーがいまの野球協約を“公正”に読めば、いかに現状に合わない時代遅れのものであるか、欠落部分の多いものであるか、が理解できるはずである。やるべきことはあるのだ。これをきっかけに野球協約の抜本的な改正である。
 
 同コミッショナーは前コミッショナーの川島広守氏(この人は巨人渡辺オーナーの人選で就任した)の紹介で就任した。いわば“高級役人の天下り”である。年俸3000万円(推定)。やることほとんどなしの老後を「結構ですなあ」とゆったり構えていられては困るのだ。
 
 プロ野球というファンあっての業界の最高責任者として、“公正な判断力”があるなら、立場と年俸に見合った動きをしてもらいたい。

スポーツの中の「ゆっくり」時間
岡崎 満義/ジャーナリスト)

 先日、NHKTV「人間どきゅめんと」で、「室伏広治 金メダルへの一投」を見た。

 父・重信さんが広治選手の子供の頃からのVTRを丹念に残していて、世界の超一流になるまでの歩みがあらまし見てとれて、なかなか楽しかった。

 この中で、今年、広治選手が米オレゴン州の合宿のとき、かつてメダリストを育てたスチュワート・トガーコーチ(67)に指導を受けるシーンに目が止まった。
  
 「ハンマー投は体の大きさに関係ない。大事なのは頭脳と運動能力=技術だ」
 
 「早く回転すればいい、というものではない。リズムを感じながら投げろ。力まかせではリズムがつかめない」
 
 「回転はゆっくりと始めよ。いきなりトップスピードにもっていこうとするな」
 
 「ハンマー投はハンマー回転ではない」
 
 トガーコーチの言葉の中に、しばしば「ゆっくり」という言葉が出てくるのに興味を覚えた。
 
 昔、南海ホークスの杉浦忠投手がピッチングコーチになった時の話を聞いたことがある。

 「投球モーションはゆっくりでいい。ゆっくり地を掃くように腕を振って、最後にヘソをきゅっと締めれば、速いボールがコントロールよく投げられる。そう何度も口を酸っぱくして、ゆっくり腕を振れ、最後にヘソをキュッと締めろ、と若いアンダースロー投手に教えたが、どうしてもわかってもらえなかった」と嘆いたことがある。
 
 また、安打製造機といわれた大毎オリオンズの榎本喜八選手がバッティングの「本筋まで行った」経験を語ってくれたとき。
 
 「本筋というのは、自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールをとらえているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです。ちょうど夢を見ているような状態で打ち終わる。その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我にかえって走りだす、そういったところまでいかせていただきました。」
 
 西鉄ライオンズの稲尾和久さんも、長い投手生活の中で、1年だけピッチングしながら、同時に自分の投球フォームが脳裡にくっきりスローモーションのように映って、投球フォームの修正も自由自在にできた、と言った。
 
 オリンピックに出場するほどの選手、一流のプロスポーツ選手なら、個人競技であれ、チーム競技であれ、100分の1秒を争う世界で格闘している。その目にも止まらぬ時間の中で「ゆっくり」と言う感覚が求められ、意識されるのは、何ともふしぎであり、面白いことだと思う。
 
 現実の物理的な時間、誰でもが感じうる現実の時間が、鍛えぬかれた一流アスリートにおいては、きびしく勝敗を争う高温高圧の磁場に置かれたとき、イキがかさぶたのように削ぎ落とされ、隠されていた純粋時間、あるいはその人だけの身体時間がそこに現出してくるのだ、と言ってもいいだろうか。そしてそれは、心理的には「ゆっくり」として意識されるのだろう。
 
 100分の1秒の極限の世界に「ゆっくり」時間が体得できたとき、そのアスリートは超一流ということになるのかもしれない。

“松本 紀彦さん”を知っていますか?
岡 邦行/ルポライター)

 日本女子ホッケーチームが初めてオリンピックに出場する。

 3月に行われた五輪最終予選を突破してオリンピック出場を決めた際、マスコミに「年間強化費は1000万円以下」、「強化合宿では大学の寮に雑魚寝」、「海外遠征の移動は格安航空券で」、「主力選手はアルバイトで競技生活を続けている……」などと、そう報じられたためだろう。オリンピック出場決定後、ホッケーの悲惨な実情を知った国民からの募金が絶えないという。また、やはりというか芸能人たちや企業も注目。たとえば、歌手の大黒摩季は公式サポートソングを制作し、和田アキ子はレギュラーのラジオ番組で応援プロジェクトチームを発足。日本マクドナルドは代表選手に2年間無料で食事できるスペシャルメンバーズカードを配布した……。
 
 アテネ五輪開幕を直前にしてホッケーは、マスコミに大きく取り上げられて国民から注目を浴びている。マイナースポーツに光が当たるのは4年に1回。オリンピック出場を果たしたときくらいだ。が、マイナースポーツの選手やスポーツ界で地道な活動をしている裏方さんたちを取材対象にしている私にとっては、正直、マイナースポーツのホッケーが注目されるのは嬉しい限り。これを機会に競技人口が大幅に増えることを期待したい。現在は愛好者を含めて約2万人の競技人口である。サッカーの競技人口の約175分の1……。
 
 で、"松本紀彦さん"についてだ。この名前を耳にして「あの松本紀彦さん?」と思い浮かべることができる読者は、かなりのホッケーファンだろう。
 
 松本紀彦さんは、日本ホッケー界を代表する往年の名選手。今から40年前の東京五輪、さらに36年前のメキシコ五輪にホッケーの日本代表チームの一員で出場している。とくにメキシコ五輪の際は、12位の成績に終わったものの、雨あられのように襲ってくる相手チームのシュートを孤軍奮闘で防御。“アジアの壁”、“世界のマツ”と賞賛され、日本人選手としてただ一人ベストイレブンに選出されたのが、松本紀彦さんだった。
 
 私が初めて松本さんを前にしたのは、丸10年前の94年の10月9日。つまり、東京五輪の開幕日である10月10日から30年目を迎える前日だった。取材した場所は三重県阿山郡にある島ヶ原カントリークラブ。実は松本さんは、メキシコ五輪後に引退し、プロゴルファーに転身していた。
私が取材したときの松本さんは、満50歳を迎えプロ入り20年目にしてシニア競技で初優勝を飾った直後だった。

 「初優勝したときは杉原輝雄さんたち先輩プロに祝福の言葉をかけられました。『お前のような毛色の変わった者が勝つとシニアが盛り上がる。オリンピックを経験した者は、松本だけやもんなあ』と。嬉しかったです……」
 
 今でも覚えている。遠い日を振り返ってくれた松本さんの、次の言葉が印象的だった。

 東京オリンピックから明日で丸30年ですか。早いですね。あの当時は、世界中に遠征していましたから、今でも思うんです。この私の体は、国民の税金で鍛えられたものだと……。だから、優勝したときは、ようやく国に恩返しができたんじゃないか、と。古い人間かもしれませんが、日の丸を胸につけたことのある私は、そう素直に思いました……」
 
 昭和19年3月生まれの松本さんが、ホッケーを始めたのは明治大学に入学してからであり、だれもが嫌がるゴールキーパーのポジションを自ら選んだ。当時の明治大学は、全日本選手権で優勝しており、レギュラーの座に就くことは同時に日本代表入りを意味していた。

 「先輩選手からの鉄拳制裁は日常茶飯事。それに練習中や試合では顔面や腕に何回となく直撃をくらった。ボールは野球の硬球よりも硬く、約150キロのスピードで飛んでくる。だから、動体視力をよくするために、電車に乗ると通過する駅名を読み取ったりする。道を歩いていても通り過ぎる自動車のナンバーを読み取ったりしていました……」
 
 松本さんは私にホッケーに明け暮れていた若き日、そしてプロゴルファーになってからの人生を語ってくれた。

 10年前に取材して以来、私はシニアツアーに顔を出すたびに松本さんのプレーに注目した。声をかけると決まって松本さんはいった。

 「こうしてクラブを握っていてもホッケーのことが気になる。私が出場したメキシコ五輪以後、日本はオリンピックに一度も駒を進めていない。女子のほうはオリンピックに出場したことがない……」
 
 先日、そんな松本さんに久しぶりに電話をかけた。受話器から嬉しそうな声が聞こえてきた。

 「アテネに行く女子代表の指揮を執る安田善治郎監督は、私が明治大学で主将していたときの後輩です。よく頑張ってくれました。安田監督は、私と一緒にメキシコ五輪に出場しています。岡さんも応援してください……」
 
 アテネ五輪期間中の8月20日からシニア競技の最高賞金額を誇るファンケルシニアクラシックが開催される。この夏の私は、松本さんと女子ホッケー日本代表を応援することにする。

 


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