プロ野球選手会労組の“スト決行”は、論理的におかしい。それなのにどうしてファンの支持があるのか。それは巨人の前オーナー渡辺恒雄氏の「たかが選手」などの発言に象徴的に見られる“時代錯誤のプロ野球界”への批判のためだろう。
まず、ストの論理的なおかしさについて。 スト決行の理由である「合併反対」や「合併の1年間凍結」は、労組のストの対象にはならない、とは多くの法律家の一致した見解だが、一般会社の労組に置きかえればよくわかる。会社の経営者が「赤字でやっていかれないから他社と合併する」というのに対してストをやれるか。組合がいえるのはおそらく「組合員が資金援助するからもう少し頑張れ」とか「従業員をクビにするな」くらいだろう。
いま銀行はじめ多くの会社が合併しているが、どこでも組合問題になっていないのはそのためだろう。当該労組にストする力がないともいえるが、組合組織のトップ・連合も黙っているのは、ストに適さない問題だからだろう。
機構側は、いま近鉄にいる選手を他球団が引き取って、「合併による契約解除はしない」といっているから不当解雇にはならない。労組側がやるべきことは、この確認を取ることぐらいだろう。
労組がいまストをやれる案件は、「話し合いに応じろ」ということだけだと思われる。 実に考えられないくらいおかしなことだが、6月に問題が起こってから、機構側は一度も労組に対して正式な場での合併などの球界の動きについて説明を行っていない。これは非道以外の何物でもない。機構側は、選手会労組を労組と認めてないからだ、というだろうが、たとえ労組でなくても、働き手である選手会にキチンと説明してこそまともな社会といえる。 普通、スト決行の決定は、徹夜に次ぐ徹夜の団体交渉をしたあげくだ。一度も話し合いがなくて事態がこのようになるとは、プロ野球界が異常な世界である証拠だろう。
その象徴的なものが、かの渡辺発言だ。ストがファンに支持されているのは、この発言にカチーンときているからだ。「たかが選手が」「無礼者が」と吐き捨てるようにいった球界のドンの発言は、ファンの耳にこびりついている。選手の「話し合いの場を持ちたい」という求めに対する答えがこれなのだから、ファンは「バカにするにもほどがある」と怒っているのだ。ファンはたぶんに自分を選手に仮託するところがあるから、自分がバカにされた気分なのだ。
この体質は、渡辺発言以前から球界にこびりついている。たとえばコミッショナー、連盟会長のような責任トップの役職に選手経験者を据えようと発案したことが一度もない。プロ野球誕生70年にもなって、それなりの人物もいるのに、だ。トップの役職にはみんな野球にトンチンカンな高級官僚上がりの爺様ばかりを天下りさせてきた。球団社長や代表にしてもマレにいるだけで、選手を「お前たちは球投げしていればいいんだ」という“野球バカ”扱い。時代遅れも甚だしい。
また、野球協約の改定、選手統一契約の見直しなど、何もやっていない。 こういう実態は、実はアメリカ軍の占領政策に端を発している。プロ野球は戦後の日本統治の3S政策の一端として奨励された。日本国民にスポーツ、スクリーン、セックスを奨励することによって批判の矛先をかわす政策である。むかし左翼はこれを愚民化政策といったが、だからプロ野球を一番先に復活させ、ついで映画。“お上”が政策的に復活させたのだ。戦後60年近くなっていまだにこういう占領政策の“お上意識”のシッポを持っているプロ野球は、一度ズタズタにしなければダメだ。
今回のストが、このような大きな思想のもとに画策されているのかどうかは知らない。もしそうであるなら立派だが、極度な年俸アップが球団経営を苦しめていることやファンサービスをあまりやらないことを棚に上げて、また、選手の顔を見に来たり写真を撮りにきたりしたファンからサインを集めて「大衆の支持がある」というのは、これまたトンチンカンである。
近鉄がオリックスに合併される1つの要因は、選手の年俸に押しつぶされたのだ。だから近鉄が球団をリストラしたのだ。ダイエーのように近鉄と同じに「巨人戦の放送料がはいらない球団」でも頑張って、球界第2位の入場者を集めている球団もあるのだから、近鉄の自滅は、ある意味では自業自得である。
選手たちのスト決行の決定が、これらの問題(まだいっぱい問題点はあるが)を前向きに検討するきっかけになるなら、大いに意義があることになる。そうあってほしいと切に思う。 |