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1964年10月10日
第18回東京オリンピック大会
開会式/入場行進/日本

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vol.220(2004年10月 6日発行)

【杉山 茂】「東京オリンピック」が変えたものはあるのか   
【岡崎満義】なぜ美人スポーツ選手がふえたのか





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「東京オリンピック」が変えたものはあるのか
杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 今週の日曜日・10月10日は、東京オリンピックが開かれて40年目にあたる。

 東京・国立競技場の記念イベントは、今を時めくサッカーの国際試合がメインになるという。9月末、横浜で行われた国際陸上競技会あたりと“合体”して、賑やかで華やかな一日が企画されてもよかっただろうに、ハナから、そのようなアイデアは浮かばずに過ぎたらしい。10年後を待つとしようか。

 あの頃はアマチュアリズムが絶頂にあった。40年経って、集客を見込めて頼れるのは、プロのカラーが濃い“興行”である。それだけの時間が経っているのだ。「見れる」内容でなければ人は寄って来ない。

 時の流れの速さに沿って日本のスポーツの本質は変わったのだろうか。遅まきながら国立スポーツ科学センターも建ち、総ての面で“マネー”がタブーとされなくなった。表向きは“進化”を遂げたように思える。

 だが、本当に“スポーツの時代”を迎え、“スポーツの国”に発展しているか、となると、自信をもって、そうだ、とは云い切れない。

 各地に次々とそびえる鳴りもの入りの大施設は、すぐに後利用に行き詰まり、社会問題化する。中規模で、競技上、運営上、観戦上の利便に秀れたスタジアムやアリーナは、どれだけ造られたのだろう。

 指導者が揃い、アフタースポーツの快適さを備えた手軽な体育施設は、どれだけあるのだろう。

 見せるスポーツの掛け声は大きく高いが、見せる側の構えは、どこまで高まっているのだろう。

 学校体育と地域スポーツは、どのように交錯し、明日へ向かおうとしているのだろう。学制の枠を越えた年令別の“一貫システム”も緒についたばかりだ。

 表現は違え、東京オリンピックの直後「これからの日本のスポーツの姿」として、識者が説いた問題点がそっくり残っている。

 「スポーツ」を考え、実践する一本化した体制は、依然として生まれず、各スポーツは、2、3の例外を除いて、事業化を見送ったままだ。

 メディアは、スポーツ自体の媒体力の充実にすがって、スポーツの発展よりも、自社、自局の打算に流れる情けなさである。

 10月10日は、オリンピックの火が、回想的な仕込みで燃える予定、と聞く。

 東京オリンピックが生み、育てたスポーツの結晶を輝かすよりも、“遺跡”に火を灯しオールドタイマーの郷愁を照らし出すだけでは、拙かろう。

 日本のスポーツの革新と、文化としての成熟は、東京オリンピックを知らない世代に期待することになるのだろうかー。

なぜ美人スポーツ選手がふえたのか
岡崎 満義/ジャーナリスト)
 「負け犬の遠吠え」というエッセイ集で、一気に人気ライターになった酒井順子さんが、『一冊の本』10月号(朝日新聞社刊)の連載コラムで「機能性美人−スポーツ選手、医師」という、面白いエッセイを書いている。

 アテネ五輪を連日テレビ観戦して、仲間と好みの男女選手について、雨夜の品さだめじゃないけれど、ワイワイ感想戦をしたようだ。

 「『オリンピックを楽しみたいです』みたいな言葉が流行するようになってから、選手たちのセンスはグッとよくなりました。・・・

 センスだけでなく、その器量自体も、美しさを増してきました。昔は『容姿がイマイチのせいで他の誘惑が無いからこそ、あなた達はここまでスポーツに打ち込むことができたのですね』という感じの女子選手が多かったわけですが、今は違う。普通の人の中でも十分に美人としてやっていけそうな人が、オリンピック選手の中にも混じっています。
 
 私はこの現象の裏に、『美人が、ただ美人というだけではやっていけなくなってきた』という時代を見ています」

 美人が、ただ美人というだけでやっていけた時代の美人とは、たとえば、今から40年ほど前に評論家の故・安田武さんが「女と肉体−はじらいと慎み−」というエッセイの中で、「日本の美女は、眼もと涼しく、鼻すじとおり、口もと尋常で、瓜実顔のすこし愁い顔と相場が決まっていた」と書き、さらに「女の色香という肉体の表現は、はじらいの感覚と、生活に定着した『慎み』の所作によって却って色濃く、纒綿たる情緒に結晶する」と書いた。つまり、はじらいの感覚と慎みの所作のうちにこそ、女の色香(美人の美人たるゆえん)があった、というのである。

 なぜ、今の世の中に美人が増えてきたのか。みんな生活が豊かになり、栄養状態もよくなり、女のコも男のコと差別されることなく大事に育てられるようになったこともあるだろう。全体的に美人率が上昇したのだから、スポーツ選手も美人が多くなった、と考えてもまちがいないかもしれない。

 しかし、私はこんなふうに考えてみたい。戦後、とくに高度成長、バブル経済の時代を通して、日本の家庭からしつけ、というよりもっと広く日常生活の中の行動、動作から「型」が消えてしまった。立居振舞い、行儀作法、挨拶などの、ひと言で家風といっていた、その家独得のライフスタイルが失われてしまった。親子関係も友だちのようになり、自由に、個性的に生活することが最大の価値となった。

 一流のスポーツ選手はどんな競技でも、まず長く苦しい練習を通して、基本となる「型」を徹底的にたたきこまれる。高校時代の柔道の先生が口を酸っぱくして言ったのは「我流でも人並み以上の体力さえあれば、3段まではいける。しかし、それ以上に強くなろうと思ったら、1からやりなおす、つまり初歩の受け身から稽古しなおして、型を身につけなければダメだ」ということであった。

 型を身につけて、その先にその人の個性的なかたちがにじみ出てくるのだ。ときには型破りという奔放なこともでてくるほどに、その人なりのかたち、スタイルが出来上がってくる。つまり、型が失われてしまった時代に、スポーツ選手だけがまず型を身につけ、型から独自のスタイルにまで、自分の身体を鍛えあげていくのである。

 スポーツ選手の美人とは、顔だけのことではない。喜怒哀楽を激しく全身であらわす。多量の汗も涙も流し、はじけるような笑顔を見せる。現代では珍しく型をもった心技体の中から生まれてくる美人なのである。

 酒井順子さんが「機能性美人」といい、「美人が、ただ美人というだけではやっていけなくなってきた」と時代の予兆を嗅ぎとったのは、まことに鋭い。昔、「はじらい」と「慎み」の型をもった美人は、今や絶滅したも同然だ。そのかわりに出てきたのが、スポーツを通して型を身につけたアスリート、という新しい美人が誕生しはじめたようだ。

 実は昔でも、顔だけ美人というのは二流か三流の美人。器量だけではなく、姿かたち、心映えのよさも加わって、はじめて一流の美人であった。これからますます、女子スポーツ選手に美人がふえる、と予言してよさそうだ。

 


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