イチローが262本のヒットを打って、メジャー年間最多安打の新記録を作った。日本プロ野球70年の年、長嶋茂雄さんが倒れ、選手会が初めてストをした年の世界的快挙として、長く記憶されるだろう。
華やかなホームラン王・ベーブ・ルースの陰にかくれて、日本人には名前すら知られていなかった安打王・ジョージ・シスラーにイチローがその記録を破ることで光を当てたことがうれしかった。生きている人間の中で、死者が目覚めるのは、何という快感であろう。
イチローのコメントはいつでも面白いが、今回の共同記者会見の中でもっとも印象に残った言葉は、次の目標は4割打者か、と訊かれたときー 「打率はコントロールできるでしょう。それを目標にしていて可能性が出てくると、打席に立たないこともできるから。でも、ぼくの原点にあるのは野球が好きでグラウンドに立ちたいということ。それ(打席に立たないこと)は本意ではないので、なかなか4割に目標を置くことはできない」
イチローは単なる記録の人、数字狙いの人ではないことがよく分かる。昔、日本のプロ野球では、首位打者をとるために、打率を下げないようにシーズン最後の数試合を休んだりすることがままあった。お目当ての看板役者抜きの舞台を、見せるようなものだ。
10数年前、東京6大学リーグで、早稲田の選手が首位打者になった。5割を越す歴代最高打率を維持するために、こともあろうに早慶戦に出なかった。あきれてものも言えなかった。早大に入ったのは、神宮球場で歴史ある早慶戦に出るためではなかったのか、それが君の野球の“初心”ではなかったのか、と、そのとき監督と当の選手を軽蔑したくなったものだ。
イチローは開幕前、ヒットもいいが、四球をもっと選べ、と批判されたことがあった。「四球では、見ている人も、やっている方もつまらない。何としてでも勝つというアマならいいが、プロだから。どれだけ自分が楽しみ、周りも楽しませるかだ」と言うのが、イチローの答えだったと、読売新聞のコラムが伝えている。イチローのコメントには、いつも何か考えさせられるものがある。
イチローへの言葉では、ニューヨーク・タイムズが「グラウンドをキャンバスにかえたアーチスト」と評価したこと、シアトル・タイムズ紙(ボブ・フィニガン記者)が「パワーをつけようと多くの選手がカネを注ぎ、そちらの方に意識を集中させる中、イチローがしているプレーは純粋なベースボールといえるだろう。イチローはベースボール純粋者だといいたい」という評価が印象に残った。
しかし、たくさんの賛辞の中で、私がもっとも感動したのは、日刊スポーツ紙に載った短いコメント―元レッドソックス外野手の85歳。テッド・ウィリアムスとチームメイトで、イチローもボストンであいさつに行っているジョニー・ぺスキーさんの言葉である。
「イチローのことは気になって、テレビで毎日、毎回、欠かさず見ている。彼のプレーを見ていると『自分は生きているんだな』と感じるんだ。初めて会った時は17歳の少年かと思った。今は老かいなバッティングにくぎ付け、ぼくのアイドルだ」
その言やよし!イチローのプレーを見ていると「自分は生きているんだな」と感じるとは、何という素晴らしい人生賛歌であろう。それこそがプロの仕事というものだ。イチローは野球選手冥利につきる、と思うはずだ。そして、こんなに感受性豊かな85歳がありうることに、私は感動する。 |